企画

【脱・流れ論】野球の「流れ」を再考する(最終回)

2020.6.18

ただ野球を楽しみたいだけなのに…

この記事は、真剣に「流れとは何か?」を考えてみようという目的があったので、細かくて理屈っぽい話が続き、ときに腹立たしさを覚えた人もいるかもしれません。特に、余計なことは考えず「とにかく野球を楽しみたい!」という人にとっては、野球が楽しくなくなるような話もあったでしょう。私自身、「すごく野暮なことを書いているのでは…」と感じることもあり、その点はとても申し訳なく感じています。そのため、もし「流れがあった方が、野球は楽しい!」と思う方がいたら、ぜひそのまま、細かいことは気にせず、「流れ」の存在を感じて野球を楽しんでください。やっぱり野球は、楽しく観る・プレーするのが一番ですから。

おわりに

全4回にわたって、「流れ」について書く機会をいただきました。「流れ」は、野球人にとってどこか特別な存在で、下手に語ると強い反感を買ってしまう、そんなイメージがありました。そのため、野球界では全くの無名である私のようなものが、はたして「流れ」について書いていいものかと、正直不安になることもありました。しかし、学生の頃に『野球人の錯覚』という本に出会い、そこから客観的・科学的に「流れ」について考えることの面白さを知った私にとって、今回の連載はとても楽しく、そして貴重な機会となりました。内容については賛否さまざまな意見があると思いますが(経験的には圧倒的に否の方が多い気がしますが…)、野球における「流れ」の存在について、また野球そのものについて深く考えるきっかけになれば嬉しいです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。(鹿児島大学准教授/榊原良太)

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