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【武相】豊田圭史監督|グラウンドの中では「昭和」、外では「令和」

2025.3.1

29歳の若さで富士大の監督に就任し、リーグ戦では10連覇を達成するなど全国でもトップレベルの強豪に押し上げた豊田圭史監督。2020年8月には母校である武相高校の監督に就任し、2024年春は県大会優勝という成果も出している。そんな豊田監督に高校の指導者となった経緯、大学と高校の違い、現在意識して取り組んでいることなどを聞いた。


『ROOKIES』状態からのスタート

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豊田監督が武相の監督に就任したのは2020年8月のことである。大学野球で結果を残し続けていただけに、このことは神奈川県内野球関係者の間で大きな話題となったが、その経緯はどういったものだったのだろうか。

「2020年にちょうどコロナが広まる直前で、いつもは沖縄でキャンプをやっていたのが変更になって、神奈川の横須賀でキャンプをやることになりました。その時に1日球場が使えない日があって、武相のグラウンドをお借りしたんですね。その時に理事長と校長に挨拶をして、武相のOBですという話をしたら、当時の西原(忠善)監督が夏に退任することが決まっていて、指導者を探しているから『どうだ?』という話をされました。さすがに急だったので迷いましたが、実家が神奈川で自営業をしているので、いつかは帰らないという思いもあって、4月半ばにはやりますと返事をさせてもらいました」
 
武相は夏の甲子園に4度出場し、その後もコンスタントに上位進出を果たしていたが、近年は県大会でも序盤で敗退することが多くなっていた。豊田監督の現役時代と比べてもチームは良くない意味で大きく変わっていたそうだ。

「最初に来た時は本当にマンガの『ROOKIES』みたいな状態でした。前任の西原監督の責任というわけではもちろんありません。少し前から退任が決まっていたそうで、学校側も環境を整えようとしていなかったというのが大きかったのだと思います。ボールもバットも転がっていて、グラウンドも整備されていない。部室もゴミだらけ。だから最初は毎日掃除、環境整備からスタートでした。もう目に見えるあらゆるところをきれいにする。あとはチーム全員が同じ方向を向くようにウォーミングアップとキャッチボール。その繰り返しばかりでした。野球の技術をどうするという以前の問題でしたね」


 
その言葉通り、豊田監督が就任直後の秋の神奈川県大会は横浜高校を相手に0対11で大敗。その後もなかなか結果を残せない日々が続いた。そんな中で豊田監督はどんなことを感じていたのだろうか。

「野球の技術面に取り組めるようになるまで2年かかりました。でも全員が同じ方向を向いて野球に取り組むためにも環境整備や挨拶、全員で全力で取り組むということは絶対に必要だと思っていたので、そこはぶれずに取り組みました。それは選手に対してだけではなくて、保護者に対してもそうです。うちは自宅から通っている選手も多いので、学校だけでなく家庭での取り組みも重要ですから」
ただ、大学野球に比べると高校野球の方がチームを統率してマネジメントするということはやりやすいと思ったという。

「人数はそこまで多くありませんし、甲子園に出るという分かりやすい目標もあります。これは大学野球を経験してきたことが大きかったと思います」


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