2018年に東京都市大塩尻に赴任し、チームを度々北信越大会進出に導いている長島由典監督。前編では指導者となった経緯、最初に赴任した東京都市大高校での経験などを紹介したが、後編では東京都市大塩尻に異動した後に結果が残せている理由などを聞いた。
スタート3日でくらったボイコット
東京都市大高校では監督以外に部長も務め、付属中学のボーイズチームでも指導を経験した長島監督。そこから姉妹校である東京都市大塩尻に異動となった経緯はどういったものだったのだろうか。
「東京都市大塩尻は旧校名時代から長く大輪弘之監督が指導されていたのですが、2008年に退任されることになって、その時に誰かいないかという相談がありました。その時はちょうど高岡第一で監督をされていた新井孝行さんの息子さんと知り合いだったので紹介してもらい、新井監督が就任することになりました。その新井監督も10年監督をされて退任となり、法人から私にやってみないかという話があってお受けすることになりました。そのお話をいただく1年前くらいにマンションも買っていたのですがすぐに売って、妻も反対することなくついてきてくれました」
甲子園にも出場した新井監督から引き継ぐ形で就任した長島監督だが、最初にいきなり大きな躓きもあった。
新井監督が退任する前、体調を崩してあまり練習を見ることができていない時期があった。選手たちはあまり指導者に見られていない、次の監督もどうなるか分からないという状態で一冬を過ごしていた。
「私もいきなり来て監督になるのは選手もやりづらいと思ったので、春の県大会が終わるまでは新井監督の時の部長先生に監督をやってもらい、県大会が終わったタイミングで正式に監督になりました。そこから夏に向けて取り組んでいこうということでスタートしたのですが、3日経ったら選手が練習をボイコットしたのです」

春の県大会を見ていてもレギュラーの選手たちがボスのように振る舞い、控えの選手たちが遠慮しているように見えた。そこで長島監督は「横一線で見る」ということを選手たちに伝えたのが、一部の選手たちはそれが気に入らなかった。
「3年生のメンバーが練習には来なくて、部長に『新しい監督とはやりたくない』ということを言いに行ったようです。指導者として初めての経験でした。正直『ふざけるなよ』と思いましたが、感情的になっても仕方ないので、3年生をウエイト場に集めて理路整然とこちらの意図を話しました」
「学校に来て1カ月の監督に俺たちのことが分かるのか」という不満を持っていた選手たちも、最終的には長島監督の意図を理解した。
「一人も辞めることなく最後までプレーしてくれました。結果としては何とか収まりましたが、今思えば当時の3年生もかなり不安な状態だったはずなので、もう少し一方的にではなくて先に話を聞くなどコミュニケーションを密にとっていればボイコットみたいなことはなかったのかもしれませんね。そのあたりは後になって反省しました」