2011年夏に甲子園出場を果たし、小池秀郎(元近鉄)、菊池涼介(広島)などのプロ野球選手も輩出している長野県の東京都市大塩尻。2022年夏、2023年秋は県大会で準優勝、2024年春は県大会優勝と近年もコンスタントに上位に進出している。そんなチームを2018年から指導する長島由典監督にこれまでの指導者としての経歴、重要にしている方針などを聞いた。
長島監督は東京都の出身で高校時代は早稲田実でプレー。3年夏にはライトとして甲子園にも出場している。野球人としては申し分ない経歴に見えるが、高校卒業時には大きな挫折を経験した。
「早稲田実業の生徒は90%以上はそのまま早稲田大学に進学することができます。私も当然進学するつもりだったのですが、高校3年の1月に成績が良くなくて内部進学できなくなり、一般の枠での受験も不合格になって1年間浪人することになりました」
予備校に通い始めたものの、やる気が起こららずにすぐに行かなくなった。家でゴロゴロ過ごす毎日。そんなとき、たまたまつけたテレビで春の早慶戦が行われていた。
「まだ入学して間もない1年生の鎌田祐哉さん(元ヤクルトなど)が投げていたんですね。同じ学年の選手がこんな舞台で早くも活躍しているのに、俺は何をしているんだろうと思いましたね」
この試合をきっかけに再び予備校に行くようになった。次の年に1年遅れでなんとか早稲田大学に入ることができた。
高校時代は投手と外野手を兼任していたが、大学では投手の道を選択。しかしそこでも挫折が待っていた。4年生のキャッチャーに対して投げることがプレッシャーとなり全く思うように投げられなくなった。イップスだった。
「イップスなのでバッティングピッチャーもできません。新人戦でも一度もベンチに入れませんでしたし、オープン戦のBチームの試合でもいつも球審をやっていました」
ピッチャーの練習は自分なりに一生懸命やっていた。だが3年春のシーズンが終わった後、このままではリーグ戦に出るのは無理だと考え、当時の野村徹監督に話に野手に転向したいと話した。
「『ワシもその方がいいと思う』と言ってくださって、転向することになりました。野村監督は私のような全く試合に出ていない選手のこともきちんと見てくださって、アドバイスもしてくれていました」
野手に転向してからは紅白戦で和田毅(元・ソフトバンク)から2打席連続でヒットを打ったこともあった。3年秋からはベンチ入りを果たし、主に代打で出場した。4年秋の最後の法政大との試合では初スタメンでいきなり4番で起用された。
「野村監督が『4番、レフト、長島』って言った時にはメンバー全員から爆笑が起こりました」と笑って振り返る。