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【武相】豊田圭史監督|大学監督時代に学んだマネジメント能力の重要性

2025.2.22

激戦区神奈川にあって夏の甲子園4度の出場を誇る武相高校。近年は県内でもなかなか上位進出を果たせない時期が続いたが、昨年春の県大会では実に42年ぶりとなる優勝を果たし、復活を強く印象付けた。2020年8月に就任した豊田圭史監督は富士大でもリーグ戦10連覇を達成し、多くのプロ野球選手を輩出するなどの実績を残している。そんな豊田監督に指導者としての失敗談やそこから生かしていることなどを聞いた。


やり過ぎていた部分もあった大学コーチ時代

豊田監督は武相から富士大を経て一般企業に就職。3年間勤務の傍ら社会人野球のクラブチームでプレーし、2009年に富士大のコーチに就任している。そして2013年12月に29歳の若さで監督に就任。しかし元々は指導者になるつもりはなかったという。
豊田監督「選手としてはプロや社会人の企業チームを目指せるようなレベルではなく、大学卒業後も神奈川に戻るつもりでした。ただ自分の前任の青木久典監督が当時はコーチで、監督に就任したタイミングでコーチを任せたいからということで岩手に残ることになりました。青木監督が法政大学に異動されるタイミングで、『理事長にも次の監督として伝えているから』と言われましたが、まさかそんな若さで自分が大学の監督になるとは思ってもいなかったです」



そんな豊田監督だったが、就任からいきなりリーグ戦で10連覇を達成。これは北東北大学野球連盟記録であり、近年の大学野球では全国で見てもなかなかない偉業である。外崎修汰(西武)、鈴木翔天(楽天)、佐藤龍世(西武)などプロへも多くの選手を輩出。富士大の名前は一気に全国に轟くこととなった。外から見ていれば順風満帆な指導者生活のスタートであることは間違いない。しかし実際は決して成功の連続ではなかったという。

「青木監督からチームを引き継いで当時は深夜まで強制的に練習させたりしていました。今考えるとやり過ぎていた部分もあったと思います」

その甲斐もあってかいきなりリーグ戦で結果は出ましたが、選手とぶつかることもあったという。

「ちょうど監督になって2年が経って、自分の就任前からいる上級生と、自分の就任後に入学してきた下級生が半々になった頃ですね。選手一人ひとりと面談をする機会を作っていたのですが、上級生の中には明らかに自分に対する不満をぶつけてくる選手もいました。下級生の方が優遇されているという言い分です。自分ではもちろんそんなつもりはなくても、そう受け取る選手がいたことは事実です。何とかリーグ戦では優勝していましたが、勝てたのが不思議な試合も多くて正直手応えはありませんでした」



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