立教大の助監督、社会人野球のリクルートの監督を経て1999年に佼成学園の監督に就任した藤田直毅監督。就任当時はそれまで経験してきた野球とのレベルの違いに苦労してなかなか結果が出ず、2007年には辞表を提出したこともあったという。そこからどのように指導法を見直し、古豪復活への道を歩み始めたのだろうか?
小倉部長に学んだ横浜の強さの秘訣
2005年に学校が強化部に指定したこともあり、入学してくる選手のレベルも高くなった。ある程度手応えを感じていたという藤田監督だが、2007年春には創価高校に1対8でコールド負け。一度は校長にも辞表を提出したが、それをきっかけに指導を見直すことになったという。「校長も理解のある人で、結果が出なかったことも受け止めてくださって、『社会人野球から来たんだから、もう一度高校野球を勉強した方がいいんじゃないか』と言ってくれたんです。それで高校野球で一番結果を残しているところに学びに行こうと思ったんです」
藤田監督が学びに行ったのは横浜高校。当時の部長、小倉清一郎氏に頭を下げて高校野球を学ばせてもらった。
「2007年ですね。毎週火曜日に通わせていただいて小倉さんと一緒に練習見ながら色んな話を聞きました。外から見ているとおっかない人で、相手にしてくれるのかなと思ったんですけど、本当によくしていただきました。選手に対しても細かく指導していて、ここまでやるのかという感じでしたね。キャッチボールでも色んなパターンがあって、ワンバウンドさせたり、タッグする動きをつけたり、わざと一回弾いて拾うことや、ノーステップ、サイドスロー、ありとあらゆる動きをやる。バントの守備や挟殺プレーも色んなパターンをやって、何かあるたびに練習を止めて小倉さんが説明してまたやる。そんなことを延々と繰り返しやっていました」
横浜高校に来るような選手はもちろん野球の実力も高いが、強さの秘訣はそれだけではないということを小倉氏の指導を見て学んだ。
当時の横浜高校は2006年春に選抜優勝を果たしており、全国でもトップのチームだった。その技術的な部分の指導を任されていたのが小倉部長(当時)であり、練習を見る中で話していた言葉も指導に対して大きな影響を与えたという。
「小倉さんが言っていたことでよく覚えているのが、『負ける時は送球(のミス)で負けるんだよ』という話しでしたね。『夏に負けたくないと思って色々考えていたら今の形になった』と言っていましたが、だったらそうならないように色んなパターンの練習をしておくということなんだと思います。“バッテリーを中心とした守り”ってよく言いますけど、横浜高校だとその目指しているレベルが違うということを教わりました。やっぱり勝てているチームはバッテリーと守備がしっかりできていた時だなと思います」