企画

【脱・流れ論】野球の「流れ」を再考する(3)

2020.4.20

大好評!鹿児島大学の榊原良太准教授による「野球の流れ」に関する研究。第三回はよくある反論とそれに対する回答から、「流れ」をフェアな姿勢で考えることの大切さについて、深く考えていきます。


前回の記事では、実際のデータから「流れ」の存在を考えてみました。「四球は流れを悪くする」のような、当たり前だと思っていた通説が、実際のデータでは支持されないことも多く、私たちが思っているほど、「流れ」の存在は絶対的なものではないことがわかりました。
 前回の記事でも書いたように、この結果から「流れは存在しない」と結論づけることはできません。この記事の主張は、あくまで「流れ」の存在をフェアな姿勢で考えていきましょう、というものです。しかし、「流れ」の存在を強く信じる人からすると、納得がいかない点も多く、いろいろな反論もあるのではないかと思います。

そこで今回は、よくある反論とそれに対する回答から、「流れ」をフェアな姿勢で考えることの大切さについて、深く考えていきたいと思います。

よくある反論【1】「あの試合をみれば流れの存在は明らか」

野球好きであれば、誰もが1つや2つ、「流れ」の存在を強く感じた試合があると思います。たとえば2019年5月15日、日ハムvs楽天の試合では、4回表が終わった時点で8-0と大量のリードを許していた楽天が、そこから怒涛の追い上げを見せ、11回裏のサヨナラ犠飛で逆転勝利をおさめました。選手もファンも、おそらく「流れ」の存在を強く感じたのではないでしょうか。

このように、わざわざ実際のデータなんか見なくても、「あの試合をみれば流れの存在は明らか」と言われることがあります。しかし、本当にそうでしょうか? 以下の例を使って考えてみましょう。

いま、筆者がダルビッシュ有投手との「1000打席対決」に挑んだとします。結果は、筆者が奇跡的に1本ヒットを打ち、残りの999打席は打ち取られたとします。普通に考えれば、筆者の圧倒的な負けです。しかし、もし筆者が1本のヒットだけをみて、「私にはダルビッシュ投手からヒットを打てる力がある!」と主張しはじめたら…。おそらくほとんどの人が、それは違うと思うでしょう。なぜなら、ヒットを打った1打席だけの結果をみて、それ以外の999打席の結果を無視してしまっているからです。

「流れ」の場合はどうでしょうか。8点差からの大逆転劇のように、「流れ」の存在を感じるような試合もあれば、そうはならなかった試合もたくさんあります。となると、本当は「流れ」の存在を感じられなかった試合も含めて、考える必要があるはずです。つまり、「あの試合をみれば流れの存在は明らか」と主張は、1本のヒットで自分の力を過信している筆者の例と、同じような問題があることになります。
それでは、なぜ特定の試合にだけ目がいってしまうのでしょうか?これは、「確証バイアス」と呼ばれる、人間の考え方のクセが原因だと言えます。

たとえば、「ラッキーセブンは点が入りやすい」と信じていると、7回に点が入った試合だけをみて「やっぱりラッキーセブンは点が入りやすい」と感じてしまいます。下の表で言うと左上のマスです。
しかし、実際にはそれ以外のマスも含めて分析をしないと、本当に「ラッキーセブンは点が入りやすい」かどうかはわかりません。「流れ」の場合は、「流れ」の存在が感じられる試合にばかり目がいってしまうということですね。




このように、人間は知らず知らずのうちに、自分が信じるものに当てはまる出来事ばかりに注目してしまう傾向があります。これが確証バイアスです。九州大学の妹尾武治先生の『おどろきの心理学』という本の中では、スポーツの「流れ」や身近な例を使って、この確証バイアスがとてもわかりやすく説明されています。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。


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