後編では山本秀明監督の指導者人生を振り返ってもらい、これまでで印象に残っている悔しい敗戦などから、現在の指導に生かしている部分を紹介する。
初めての甲子園で出したことのないサイン
社会人野球の三菱自動車川崎で捕手としてプレーし、2004年に母校である日大藤沢に赴任した山本監督。就任4年目の2007年春には選抜高校野球にも出場しているが、初めての甲子園でいきなり大舞台の難しさを痛感したという。「この時のチームの1番を打っていた長谷川(雅宜)という選手が凄くいいバッターで、秋の大会は第1打席で7割くらいの確率でツーベースでチャンスを作っていました。ただ選抜の初戦で、相手ピッチャーの立ち上がりが明らかに制球が定まっていなくて、ツーボールになったんですね。そこでそれまで出したことがなかった『ウエイティング(待て)』のサインを出しました」
しかし、少し高めのボールを打ってフライアウトになった。
「ベンチに帰ってきた時に『おい! お前、何のサインだったんだ!』って怒って、長谷川も『ウエイティングです!』って言ったんですけど、よくよく考えてみればそんなサイン出したことなかったので、戸惑ってその分差し込まれたのかなと思いました。普通に打っていればヒットだったのかなと」
2回の一死一・二塁のチャンスでも失敗があったという。
「8番バッターで相手の投手との力関係からまともに打つのは難しい。最悪でもゲッツーは逃れて9番まで回して、次の回を1番からということを考えて、スライダーが来るタイミングでヒットエンドランを出そうと思っていました。ただ大会前に関西の高校と練習試合を何試合かさせてもらったのですが、配球がこちらの想定と全く当たらなかったんですね。その経験があったので『ここはスライダーだろう』と思ったカウントで信じきれなくて一球またウエイティングさせたら、案の定スライダーが来ました。<やっぱりスライダーだったか、>思ってフルカウントからもう一度エンドランを出したら、センターへのハーフライナーでゲッツーになりました」
これもいつもの自分を信じきれなかったことから起こった失敗だった。
大会前には甲子園出場経験のある監督から「普段通りの野球をするように」と言われていたそうだが、いざ甲子園の舞台に立ってみるとそれができなかった。実際にそのことに気がついたのは試合後のことだった。