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【明豊】川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」

2020.3.31
すると途端に生徒たちは「本気で野球がしたい」という視線を投げ返してきた。そこで川崎監督は「以前が5だとしたら一気に100に近い練習量」を課して生徒たちを追い込んでいった。これが夏目前の6月のことである。中には涙を流しながら必死で食らいついてくる生徒もいたが、もともとは野球に賭けて入学してきている生徒たちばかりだ。苦しさの中にあっても表情には微かな変化が生じ、充実感が見て取れるようになってきた。
この年、明豊は大分県を制して2年ぶりの甲子園出場を決めた。生徒たちへの感謝と同時に湧いてきた感情は、高校野球を指導することの難しさであり、楽しさ、喜びだった。これが明豊での指導者生活の原点である。

「強力打線を作り上げた髙嶋先生だが、小難しい打撃指導は基本的に行わない。しかも、その打撃理論はいたってシンプルなものだった。『空中から来たボールを地面に帰すことがおかしいやろ。空中から来たボールは空中に返せ』。つまり『ゴロを打つな』という指導に徹していた」
――第一章・“野球人・川崎絢平”の原風景~髙嶋仁の打撃論・空中から来る球は空中に打ち返せ~より

川崎監督は智辯和歌山の出身で1年夏に全国制覇、3年夏に4強という成績を残している。当時の監督はご存じ、甲子園歴代最多の68勝を誇る髙嶋仁監督だ。6試合で60得点、11本塁打、100安打を記録し2000年夏に全国制覇したチームを筆頭に「平成の打撃王」の称号を欲しいままにしてきた智辯和歌山。この本では、川崎監督が選手・コーチとして受けた髙嶋監督の打撃指導についても触れている。

高嶋監督の場合、無死一塁からヒッティングのサインが出れば、その意図は「7カ所のどこかに打て」という指示だという。7カ所とはレフト線、レフトオーバー、左中間、センターオーバー、右中間、ライトオーバー、ライト線を指している。つまり「長打を打て」という指示になる。このサインが出れば、自ずと選手は「ゴロを打ってはいけない」、「低めの球には手を出してはいけない」と考える。ゴロではまずセンターオーバーはない。だから「空中に打ち返せ」という、ごくシンプルな理論である。逆に無死一塁で確実に走者を進めたい時には「進塁打を打てというぐらいならバントをさせる」というのも高嶋理論。こうした恩師の教えも、現在の明豊の練習にはふんだんに見て取れる。

ちなみに入学後の5月から優勝した夏の決勝まで無安打だった川崎監督は、当然送りバントのサインが送られることが多かったという。




第一回:川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」
第二回:「全力疾走は『美徳』ではない!」と川崎絢平監督が語る、その真意
第三回:変化を続ける「柔軟力」を武器に、川崎絢平監督が目指す夏の頂点 

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