学校・チーム

【明豊】川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」

2020.3.31

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて「第92回選抜高校野球大会(センバツ)」が大会史上初の中止を余儀なくされた。2度の震災をも乗り越え、日本国民に春の訪れと活力を与え続けてきた大会の開催断念は非常に残念であり、出場権を勝ち取っていた32校の選手・関係者の心情を推し量ると、胸が張り裂けそうな思いでいっぱいになる。
 
昨秋の九州大会で優勝し、2年連続4度目の出場を決めていた明豊(大分)の川崎絢平監督は、今大会中止の知らせを受けて「スポーツをやっているのは、心が折れそうになった時、逆境に立たされた時に踏ん張る力を養うため。この苦しい状況を乗り越えさせたい」と、目を真っ赤に充血させながらも気丈に語っている。
 
 ベビーフェイスに加え、生徒を相手に打撃投手を務めたり、ともにノックを受けたりしている姿は学生コーチのように若々しいが、実際は松坂世代の1学年下にあたる38歳。2012年秋に明豊監督に就任し、2015年に夏の甲子園初出場を果たすと2017年夏には8強、そして2019年春には学校最高を更新する4強進出と、着実に全国での実績を積み重ねている。30代にして全国上位への台頭を果たしたわけだが、川崎監督自身が智辯和歌山1年時に全国制覇を経験していることも重なり、その指導法や組織作りに対する興味や関心は近年ますます高まる一方だ。
 
そんな川崎監督が、明豊での指導歴10年という節目に本を出版した。タイトルは「~変化を続けて頂点を狙う~柔軟力」(竹書房)。「“指導者としての若さ”を活かし、ひとつのものに固執することをしない“柔軟かつ流動的”な指導を心掛け、各年代や生徒の個性に合わせた指導への試行錯誤を続けている」(本文より抜粋)川崎監督の10年を振り返るにふさわしいタイトルといっていい。
 
 今回から3回にわたり、川崎監督がどのような考えを持ち、どういう指導によってチームを九州最強の座まで押し上げていったのかを、この「柔軟力」という参考書をもとに紐解いてこうと思う。
 
「やはり野球に飢えていたのだと思う。(中略)生徒が求めている者をやらせ続けることで、生徒は能力を発揮できるのではないか。いつもあと一歩のところで負け続けていたが、そこも乗り越えていけるのではないかと感じたのだ」
――序章・「九州有数の強豪」と呼ばれるまでの日々~野球に飢えた生徒たち~より
 
 明豊のコーチに就任してすぐ、川崎監督は当時の和田正監督から練習の陣頭指揮を任されるようになった。当時の明豊はすでに能力的に県内一番であり、川崎監督も「智辯の選手ともそん色はない」という第一印象を抱いている。しかし、試合になると「あと1勝」がなかなか遠い。原因は「人間力の不足」にあることは明確だった。当時は川崎監督が受け持つ保健体育の授業中に部員同士が殴り合いの喧嘩をすることもあった。
「生徒たちはきっと消化不良なんだろうな」と、川崎監督(当時は部長)も感じたのだという。野球に関して県内屈指の能力値を備えながら、フリー打撃5本×3、シートノックを終えたらスパッと全体練習を切り上げてしまう。練習の指揮を委ねられていた川崎監督は生徒を集め「本気で甲子園を目指している人たちから鼻で笑われるぞ。本気で甲子園を目指し、本気で日本一を目指し、本気で野球に賭けている奴らでも、実際に甲子園に行けるか行けないか、勝てるか勝てないかの瀬戸際にいるんだ」と告げた。



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