そもそも本気で日本一を狙うチームは、新チームが発足した瞬間から翌年夏の頂点に立つことを意識してスタートする。1年という時間をかけてチーム作りを行っている以上、その途中の4月に結果が出たからといって「じゃあ夏は日本一」と言っても、残りのわずか3、4カ月で辿り着けるものではないと川崎監督はいう。片や1年間にわたる意思統一を行い長期的目標に設定した日本一。片や「センバツで結果が出たから次は夏で日本一」。目標に達するまでのアプローチを比較した時、後者はあまりにも軽すぎる。
そして昨年のセンバツで準決勝敗退に終わったのは「最初からベスト4が目標だった。本気で日本一を目指していないから負けた」と言い切っている。日本一になるチームは、やり方うんぬんの問題ではない。「俺たちは日本一になるんだ」という思いで過ごした期間の長さこそが、目標達成に近づくための大きな原動力になると信じている。
「これは極論だが、球数制限の中で野球がしたい団体を作ればいいのではないか。球数制限しないと投げられない、投げたくないというのであれば、高野連とは別に甲子園を目指さない組織を作り、そこで全国大会を開催するというのひとつのアイデアである」
(最終章・野球界の未来へ「高校野球の力がもたらすもの」~甲子園を目指さない組織と国体のあり方~より)
本の最後で、野球界の未来に対する提言も行った川崎監督。「僕らのように甲子園を目指すことを大前提として、そこからさらに上の世界を目指す集団と、甲子園を通過せずにいきなりプロを目指す組織。これらを両立させて、いっそ選択制にしてみてはどうか」といった大胆な持論を繰り広げている。「高野連ではない別組織」。これは球数制限に関する解釈から派生したひとつのアイデアである。その過程で医学的見地や世間の風評に対して正面から向き合っているだけでなく、DH制の導入、バット規格改正、国体のあり方などについても「柔軟力」を活かした独自の見解を述べている。
昨夏の大分大会で準決勝敗退に終わった直後、初めて公の場で宣言した「日本一奪取」。優勝候補の一角として臨むはずだったセンバツは、残念ながら中止となったが「指導者として現状に満足しているつもりはさらさらない」と、再び思考回路を高回転させて前進を開始した明豊・川崎絢平監督。変化を続ける「柔軟力」を武器に、夏の頂点を目指す戦いが始まった。
第一回:川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」
第二回:「全力疾走は『美徳』ではない!」と川崎絢平監督が語る、その真意
第三回:変化を続ける「柔軟力」を武器に、川崎絢平監督が目指す夏の頂点
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