企画

ゴールは今じゃない!「補欠のミカタ ~野球部補欠会議2020」レポート(前編)

2020.2.5

1月26日、都内で一風変わった野球に関するイベントが開催されました。そのタイトルは『補欠のミカタ ~野球部補欠会議2020』。普段、スポットライトの当たらない、野球部の補欠にフォーカスしたイベントです。入場無料、誰でも参加可能ということもあって多くの野球ファン、また現役の野球部員の姿も見られたイベントの様子をレポートします!


イベントは以下の二部構成で行われました。

第一部:”元補欠”を経験し、現在は多方面で活躍する出演者による高校野球や補欠にまつわる「あるある話」トークショー
第二部:ベンチ入りできなかった3年生同士の甲子園「ラストゲーム」について実際に参加された高校の監督をお招きしたトークショー



まず今回は第一部についてお届けしますが、トークショーに参加したのは以下の面々。

■ゲスト
小林公太:元横浜DeNAベイスターズ 投手
戸田亮:元オリックスバファローズ 投手
矢野勝嗣:元松山商 外野手。1996年夏の甲子園、奇跡のバックホームで有名に。
元永知宏:スポーツライター(元立教大学野球部)

■MC
杉浦双亮:細かすぎて伝わらないモノマネでも有名。元帝京高校野球部
東郷淳:モノマネ、俳優、司会などマルチに活躍。審判学校卒業の経歴を持つ。元高校球児
 
イベントは杉浦双亮さんの十八番である、外国人選手のモノマネなど、MC二人の軽妙なトークでスタート。次にゲストの4名が登場した、うち2名は元プロ野球選手というメンバー。プロになるような選手は高校時代からスター選手であることが多いですが、今回出席した小林さん、戸田さんは全くそうではなかったそうです。そんな2人も交えたゲスト4名は自身の経験を以下のように語りました。



小林公太さん(元横浜DeNA)

中学時代は城南ドリームボーイズというチームで当時はずっと補欠でした。3年生がちょうど20人いて、最後の大会は全員がベンチ入りする予定だったのですが、一人だけ2年生を試したいということで唯一ベンチから外されたのが僕です(笑)。中学卒業時は154cmくらいの小柄な内野手だったんですけど、高校に入ったら30cmくらい身長が伸びて、そこでピッチャーやってみたらサイドスローで145キロ出たんですね。ただ、コントロールも悪くて、受けられるキャッチャーもいなくて高校3年間で1勝しかしていません。
ベイスターズの一般向けの入団テストを受けたらその時たまたま絶好調で自己最速に148キロが出て合格しました。でもプロでもずっと補欠で、3年間で戦力外になりました。ただ、そんな実力だったからか先輩も脅威に感じていないようで、何でも教えてくれましたね(笑)。なぜか野手の内川(聖一)さんにもかわいがってもらいました。内川さんからはとにかく一生懸命やっているところを認めてもらったようで、今でも自主トレのお手伝いなんかをさせてもらっていて、本当によくしてもらっています。

戸田亮(元オリックス)

小学校は中野リトル、中学校は城西シニアでプレーしていたのですが、試合には数えるほどしか出場していません。高校も自分でも試合に出られるかなと思って大成高校というところを選びましたが、それでも補欠でした。ただずっと野球は好きで、大学も自分の成績で行けて、ひょっとしたら野球もできるかなという気持ちで高千穂大に進学しました。推薦でも何でもないですから、普通に体験入部に行ったら監督に「お前どこのピッチャーだ?」って言われて。ピッチャーなんか全然やったことなかったのに、ナチュラルにスライドするボールが面白いと思ってもらったみたいなんですね。それで大学からピッチャーをはじめました。
高千穂大は二部リーグなので4年生になると就職活動で抜けたりして、それでピッチャーが足りなくて割と早くから投げさせてもらったんですね。その時が野球人生で初めて必要とされた経験だったので、頑張ろうと思いました。ただ最初に確認できたスピードは123キロだったと思います。
それが4年生の時には147キロになって、JR東日本から声をかけていただいて、プロでは最終的に153キロまで出ました。6年間プロでやらせてもらいましたが、高校3年生の時に教習所のテレビで見ていた田中マー(将大)くんと同じ試合で投げ合った時は嬉しかったですね。今は社会人として働きながら、軟式野球でプレーしていますけど、まだできるところまで投げ続けたいと思っています。



矢野勝嗣(元松山商)

自分は高校3年の夏に甲子園に出た時の背番号は9でした。ただ当時4番を打っていたエースのピッチングが不安定で、背番号10の2年生が投げてエースがライトということが多くて、準決勝までの5試合で2試合しか出ていなかったんですね。しかも準々決勝ではスタメンだったのに1打席目に三振して、二打席目のチャンスで代打を出されました。チームは勝ち進んでも自分は落ち込んでいるような状態でしたね。
決勝戦も正直もう出番はないかなと思って、観客のような立場で見ていました。それが延長10回にワンアウト満塁のピンチで、プレーがかかると思ったタイミングで監督がいきなり『矢野(ライトに)行け』って言ったんですね。本当に4文字だけです(笑)。
キャッチボールもしていなかったので腕を回しながらライトに向かったんですけど、この時は嬉しい気持ちの方が強かったですね。声をかけられたらベンチに下げられることばかりだったので。そうしたら初球にいきなり打球が飛んできて、刺せると思っていた位置から下がったんですけど、風で戻されてちょうど勢いがついたんですね。ワンバウンドでは間に合わないと思って投げたことだけ覚えています。それが上手く風にも乗ってアウトになりました。事前に準備する時間があったら、余計なことを考えてあのプレーはできなかったかもしれません。
その後にすぐ自分の打席だったんですけど、そのことも知らなくて、後輩に言われて打席に向かってまたすぐ初球を打ったんですね。それがツーベースになって決勝点に繋がりました。バックホームでもツーベースでもガッツポーズしてるんですけど、松山商業は普段はガッツポーズ禁止なんですが、自然と出たものでした。監督からもずっと気持ちが出ないと言われ続けていて、最後の最後に気持ちが自然と出ましたね。

元永知宏(元立教大学野球部)

自分は愛媛県の大洲高校という公立高校から立教大に進学しました。当時の立教大学は二つ上に長嶋一茂さん(元ヤクルト、巨人)、一つ上に矢作公一さん(元日本ハム)、同学年に黒須陽一郎(ヤクルト3位指名/入団拒否)というドラフトで指名される選手が続いている時代でした。そんな時に普通の公立校から入部して、4年間ずっと補欠でした。当時は決まりで、控え部員はリーグ戦を神宮球場の二階席で見ないといけなかったんですね。だから4年間で新人戦なんかも入れたら100試合近く二階席から試合を見たことになると思います。
少しこじつけかもしれませんが、寮生活も練習も苦しいことを実際に経験して、その一方で二階席から俯瞰して野球を見たという経験が今の仕事に生きているかもしれませんね。



レポート後編に続きます。
(取材・文/写真:西尾典文)

関連記事



PICK UP!

新着情報