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【福井工大福井】大阪桐蔭OBの監督、コーチが重視するのは「積み重ね」(前編)

2019.5.13

「春季北信越地区高校野球福井県大会」決勝で敦賀気比を6-4で破り見事に優勝を飾った福井工大福井。そんなチームのグラウンドを大会直前の4月中旬に取材しました。


3学年で132人。福井工大福井野球部の部員数である。グラウンドを見渡すとキャッチボールする選手らと並列して、トンボを持ってグラウンド整備をする選手や、グラウンド端で水まきをする選手......。あちこちで動き回る選手が散らばっていて、とても賑やかだ。お昼過ぎに授業を終え、14時前に練習着に着替えて集まってきた選手の動きを見ながらそんな会話を交わしていると、「これでも全員ではないんですよ」と笑うのが17年8月から指揮を執る田中公隆監督(44)だ。

大阪桐蔭時代は選手、コーチとして全国制覇の経験を持つ田中公隆監督

田中監督は大阪桐蔭出身。91年夏の甲子園では控え捕手としてベンチ入りし、初優勝を経験した。福井工大を卒業後、静岡の高校で監督を務めたのち母校で長らくコーチとして後輩も指導してきた。浅村栄斗(楽天)や12年の春夏連覇の立役者のエース藤浪晋太郎(現阪神)や森友哉(現西武)など、数々の名選手をプロ野球界に送り出した腕もある。レベルの高い選手らと携わり、快く送り出してくれた西谷浩一監督らの後押しも受けながら13年4月から福井工大福井でコーチとして再出発を図ることになった。

だが、福井工大福井に赴任した当初は様々なギャップの間で苦悶した。中学野球のトップレベルの選手が集まる大阪桐蔭と選手のポテンシャルを比べるのはあまりにも酷だが、3学年が揃っても部員数が60人少々の大阪桐蔭に対し、福井工大福井はその倍以上の部員を鍛えなければならない。専用グラウンドがあるとはいえ、キャパにも限界がある。「1人あたりの練習量がどうしても少なくなってしまう。どうやって練習をうまく回すか。まずそこがテーマでした」と指揮官は振り返る。

しかもコーチに就任した当初は、当時の監督の大須賀康浩氏(現総監督)と2人だけで現場を切り盛りしていた。指導者が少ない中、多くの部員の動きに目配りもしなければならない。そこで17年8月に監督に就任すると、田中監督はチームスタッフを増やすことに着手。大阪桐蔭の教え子で12年春夏連覇時のセンターのレギュラーだった白水健太コーチが昨年2月に、大阪桐蔭時代の同級生で、大阪の箕面学園でコーチをしていた古川卓コーチが昨年4月に就任した。古川コーチは投手出身のため主に投手を担当し、白水コーチは野手を中心に指導するなど役割を分担。

田中監督の大阪桐蔭の教え子で12年春夏連覇時のセンターのレギュラーだった白水健太コーチ

そして練習の効率化を図るために、チームを分割化した。レギュラークラスの選手がいる一般的なAチームがあり、その次にあるBチームを2つに分け、B1チームとB2チーム。ケガの選手らが中心のCチームと計4編成にした。取材に訪れた日は、そのBチーム2班がバスで10分ほどの所にある球場で練習を行っていた。練習場所の確保や移動手段の管理などスタッフ側の体力も必要だが、コーチ同士で情報交換を綿密に行い、流れを一本化することがレベルアップに繋がる根底となっている。



「チームごとの風通しをしっかり良くして、入れ替えは頻繁に行っています。練習試合も同じです。Aチームが自校で試合をしている時、Bチームは外に出て練習試合にもよく行きます。Bチームをさらにふたつに分けているのは、Aチームの人数を敢えて少なめにして、そこに近づけるような選手を多くするためです。選手を入れ替えやすくすることで競争も高まりますし、活性化に繋がっていると思います」(田中監督)。
後編に続きます。
(取材・写真:沢井史)

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