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【福岡大大濠】八木啓伸監督|試合に出られない者がいることを忘れてはいけない

2025.6.25

指導者は前ばかりを見てはいけない



━━現役時代の失敗を今の指導に活かしている部分はありませんか?


失敗というわけではないのですが、大学時代の私は、なかなか試合に出られず、陰でチームを支える立場の人間でした。そういう経験があるので、試合に出ていない子、なかなか上手くいかない子をしっかり見てあげるように心がけています。監督である以上、彼らはどんな思いで野球をしているのかな、と気に掛けることがすごく大事だと思うんです。そういった選手たちが取り組みやすい環境、前向きになれる環境を作ること。そして、チームのことを思える人に育てていくことが、私の責務だと感じています。試合に出て勝ち負けを争えるということは、一方で試合に出られない者がいるということを忘れてはいけません。逆の考えをすれば、そういう子がいて、初めて選手は試合でプレーできるのです。だから私たちは前で試合をしている選手ばかりを見るのではなく、後ろで応援してくれる子供たちもしっかり見てあげないといけません。そして、そういう子たちにも試合に出てほしいと強く願っています。

━━ふと気づいて振り返ったら“なんか俺ひとりで突っ走っちゃったな”と反省したことはありませんでしたか?

まったくなかったわけではありません。やはりそれも浜地たちの前と後で変わりました。それまでは陣頭で「行くぞ、行くぞ!」という感じで指導していたのですが、浜地たちの初戦敗退を受けて“それではダメなんだ”とスタイルを改めたのです。そこからはより慎重になったし、自分が先頭に立つのではなく、後ろから選手たちを支える側に回るようになりました。後ろから「ほら、行くよ」と言って背中を押す。そういう立場でないといけないなと感じるようになったのです。

━━やはりその頃から選手への言葉がけ、口調すら変わってきたと感じますか?

大きく変わっていると思いますね。厳しくすれば強くなるみたいな発想から大きく変わったのは、やはり浜地たちの世代からですよ。浜地とその世代の子らは九州大会の優勝という戦績を残してくれただけでなく、その後の私の指導にも大きな影響を与えてくれました。本当に感謝しかありません。山下や柴田があれだけ大きく育ってくれたのも、浜地たちの影響が大きかったことは間違いないでしょう。とくに浜地との出会いによって、投手の扱い方や投手のマインドなど、本当にたくさんのことを教わりました。私の指導スタイルのいくつかを作ってくれたのは浜地と言っても過言ではありません。

━━そして今年も勝負の夏が近づいてきました。チームにとっては36年ぶり、監督にとっては初となる夏の甲子園を目指した戦いが始まります。

今年は打つ方がちょっと苦しいんです。春の九州大会では、そのへんの課題が浮き彫りになりました。ただ、そうやってホップ期の春季戦線、その後のステップ期をいい感じで過ごすことができています。これをいかに夏のジャンプに変えられるかというところまで、ようやく来ることができました。現在は選手と一緒にスクラムを組んでやっているところです。この夏は一試合でも多く彼らと戦いたい。そういう気持ちにさせてくれる、すごい伸びしろを持った楽しみなチームです。彼らと甲子園で試合をして、勝って、心の底から喜び合いたいなと思います。私自身はここまで失敗と後悔の連続で、今もそれを繰り返している最中ですが、過去の経験を活かして最高の夏にしたいですね。

(取材・文:加来慶祐/写真:編集部)

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