12年ぶり2度目の出場となった昨年夏、早稲田佐賀を5-2で破り初の甲子園勝利を挙げた。大会史上初の「カタカナ校名勝利」としても話題を呼んだ歴史的1勝が大きな自信に繋がったのか、今春の宮崎大会では5試合1失点で優勝と、聖心ウルスラ学園の躍進が続いている。
打破した見えない大きな壁
「とくに春先は“投手有利”の傾向が強いものですが、投手を中心に落ち着いて試合を進めることができた点は、明らかに昨年の経験が活きたと言えるでしょう」と、チームを率いる小田原斉監督も“甲子園出場”の効果を強調する。しかも、甲子園で2試合に先発したエースの戸郷翔征だけでなく、左腕の林田蓮瑚も聖地のマウンドを経験。登板はなかったものの二塁手として出場した上村奎仁のほか、スタメンに名を連ねた園田玲久、黒木遼介も現チームに残った。昨年の甲子園で試合に出た選手が7人もいるのだから、やはり経験の効能は絶大と言っていいだろう。
今春の九州大会は戸郷の体調が万全でない中で初戦敗退に終わったが「九州最強打線」とも称される明豊(大分)を相手に3-4と互角の戦いを演じたことで、ますます存在価値を高めた感もある。
2012、13年夏に2年連続で宮崎県準優勝に終わった後も、2014年秋の準優勝を含め、春夏秋のベスト4以上進出は4度。公私入り乱れての群雄割拠が続く宮崎県において、安定的な強さには定評があった聖心ウルスラ学園だが、ここへ来て大きな壁を打破したと見てまず間違いない。
現役時代に強打の中堅手として鳴らした小田原監督自身も、延岡学園3年時に主将として甲子園に出場した経験を持つ。高校を卒業後、社会人野球の名門プリンスホテルでのプレーを経て延岡学園の監督に就任。2000年夏に母校を甲子園に導いている。2002年に創部して間もない聖心ウルスラ学園のコーチとなり、2012年に監督となった。今季が指揮7年目となる。
「当然その年、その年で選手もチームカラーも変わってきますよね。最終的にこういうチームになるだろうというイメージを描き、そこに向けてパズルを作り上げていく。もちろん年によって投手中心、打撃中心と理想像は違ってくるし、パズルのピース数も違えば、ピースの大きさも違う。とにかくまずは今年の出来上がる完成像をイメージすることですね」
と、独特の表現でチーム作りの指針を語る小田原監督。すべてが当初のイメージ通りに進むことはないし、大会が始まってみないとわからない部分もある。チーム内の戦力を完全に把握しているつもりで最後の夏を迎えても、選手の調子次第で雰囲気が一変し、大会の中で上向いていくチームもあれば下降してしまうこともある。そうした中で「今もなおチーム運営の正解を見出せてない」と苦笑いを浮かべる小田原監督だが、広大な専用グラウンドと周囲の自然環境を最大限に駆使した効率的練習で、チーム力を高め続けてきたことだけは確かだ。