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【津久見】練習は打撃が8割!聞こえてきた古豪復活の足音

2018.11.19

甲子園に黄色いストッキングが帰ってくる?

昭和40年代の高校野球を代表する「公立の雄」でもある大分県立津久見高校は1967(昭和42)年春と、1972(昭和47)年夏に甲子園を制している。九州勢として初めて春夏甲子園優勝を達成した学校である。当時の津久見を「現在でいう智辯和歌山や日大三のような存在」と表現する関係者も多い。名伯楽・小嶋仁八郎監督のもと、実際に圧倒的な強打を誇るタレントを複数擁し、甲子園に登場すればたちまち優勝候補に挙げられるほどの力があった。
昭和の大分県を引っ張ってきた津久見は、昭和最後の大会となった1988年夏を最後に甲子園の舞台からぱったりと姿を消した。この年、津久見は後の沢村賞投手・川崎憲次郎(元ヤクルト)を擁して春夏連続でベスト8入りを果たしたが、平成の世になってからの30年間で、一度も甲子園出場がないのだ。津久見復活を期待するファンは大分県内に留まらず、日本全国に存在する。そんなオールドファンに、朗報が舞い込んだ。
 
来年春のセンバツを賭けた今秋の大分県大会でベスト4に進出。準決勝で敗れたことで九州大会出場は逃したが、九州準優勝まで勝ち進んだ明豊を相手に終盤同点とし、延長10回サヨナラで敗れるという惜敗だった。また、新チームになって最初の県選手権(新人戦)では43季ぶりの優勝を達成。2018年シーズンは春夏ともにベスト8、昨秋は県選手権の初戦で甲子園から帰ってきたばかりの明豊を下し、今年1月に行なわれた県内野球部対抗のトレーニングマッチでは総合優勝を達成。ここ数年の安定した好成績に加え今秋の奮闘ぶりも高く評価され、とうとう大分県高野連から21世紀枠の推薦を受けた。ひょっとすると、来春の甲子園にあの黄色いストッキングが帰ってくるかもしれないのだ。




河室聖司監督は大分上野丘3年時に投手として1982年夏の県予選決勝進出に貢献。この時、甲子園出場を目前にして敗れた相手が津久見だった。さらに前年秋にも準決勝で対戦し、勝利目前の9回二死まで0点に抑えながら瞬く間に3点を失いサヨナラ負けを喫するという苦い敗戦も経験している。当時の津久見の強さを肌で知っている河室監督が、その印象を振り返った。
「夏の全国制覇から10年。まだまだその余韻がふんだんに残っていた時期です。小細工をまったく必要とせず『打って打って、打ちまくる。振って振って、振りまくる』。私が子供の頃から見ていた津久見のイメージはそのままで、とにかく黄色いストッキングで相手を呑み込んでいましたね」
当時は大分県全体が『打倒・津久見』で燃えていた時期。倒すべき存在だった津久見のユニフォームに袖を通していることに不思議な縁を感じると言う河室監督は、この秋で就任4季目を迎えた。



名門復活のタクトを託された3年前の秋、選手を集めたミーティングで「どんなチームを目指すか」という問いを投げかけた時、選手たちは「打ち勝って甲子園に行きたい」と口々に叫んだ。ガリガリにやせ細った選手たちを眺めて(今のままじゃ無理だ)と嘆きつつも、選手たちが学校の伝統を守り、貫こうとしている姿に河室監督は大きな感動を受けたという。「じゃあ、やってみるか」とトレーニングや補食を導入し、スイング量も大幅に増やした。
「あの時から練習の8割は打撃練習に割いています。『打って打って、打ちまくれ。振って振って、振りまくれ』とね(笑)」
と河室監督は言う。強かった津久見を、身を持って知っているからこそ、河室監督はシンプルに、そして圧倒的に打ち勝つスタイルを理想として追い求めている。


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