学校・チーム

【武相】豊田圭史監督|大学監督時代に学んだマネジメント能力の重要性

2025.2.22

全国大会で感じた名将たちとの差



最初に結果が出るとその後に苦しむ指導者も多いというが、豊田監督も同じような経験をしていたことは確かだろう。そこから気づいたことについて豊田監督はこう話す。

「コーチの時は技術指導が重要だと思っていましたが、監督になってより重要だと感じたのがマネジメント能力です。特に大学生、富士大のような約200人もの部員を抱えているチームは統率することがいかに難しくて、そのためにマネジメント能力が必要だということを学びました」

名門高校から来ている選手もいれば、中には部員10人くらいのチームでやっていたという選手もいる。そこからリーグ戦のベンチに入れるのは25人で、150人以上はスタンドで応援することになる。それを統率して同じ方向を向かせ、同じ目標に向かわせるというのは並大抵のことではない。

「全国大会に出て明治大の善波達也監督、東洋大の髙橋昭雄監督、亜細亜大の生田勉監督などと対戦させてもらって、その差を凄く感じました。当然名門の大学には力のある選手も多いですけど、自分が全国大会でなかなか勝てなかったのはその差だけではなかったです。それから野球の指導者ではなく、企業のマネジメントなどの本もよく読んで勉強するようになりました」



こう話すようにリーグ戦では10連覇を達成したものの、豊田監督時代の富士大は全国大会の最高成績は2回戦進出となっている。豊田監督自身も、全国大会になるとリーグ戦と同じように指揮を執ることができなかったと感じていたそうだ。ただそんな中でもあらゆる面で変化はしていたという。

「大人数のチームで同じ方向を向くにはやはり選手たちの理解を得ることが第一だと考えるようになりました。それから全体ミーティングをとにかく多くするようになりました。あと気をつけていたのはリーグ戦になかなか出られない選手の練習環境と試合環境を与えること。Bチームのオープン戦を年間100試合は入れるようにしました。時には高校生とか力の差がある相手チームもあったのですが、それでもとにかく力を抜かずに一生懸命やることだけは徹底してくれということも言っていました。今、東北の大学でBチームのリーグ戦もやるようになりましたが、あれもこちらから色んな大学に働きかけてスタートしたものです。そうやって機会を与えていくと、Bチームからラッキーボーイみたいな選手も出てきて、それがまたチーム全体を活気づけることになります。大所帯のチームで指導する中で、そういう工夫も必要だということは学びました」

豊田監督から名前の挙がった東洋大の高橋昭雄元監督も、AチームではなくBチームの練習を積極的に見て、引き上げる選手を常に探していたという。そういったことの積み重ねがチームの活性化に繋がっていった部分もあったのではないだろうか。

後編では武相高校に異動となった経緯と、そこから結果を出すようになった要因などを紹介する。(取材・文:西尾典文/写真:編集部)

関連記事

  • 1
  • 2


PICK UP!

新着情報