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【聖光学院】斎藤智也監督|屈辱的な大敗から学んだ「パワーアップ」の必要性

2023.12.15


――当時の聖光学院は「圧」をかけられなかった。「圧」を身につけるために何かを変えましたか?

斎藤 「心技体」を「心体技」に……いや、考え方によっては「体心技」だったかもしれない。誤解してほしくないのですが、もちろん「心」、メンタルは大事ということ。一番大事なことです。だけど、明豊戦では心の強さが出る間もなく力で圧倒され、潰された。極端な話、大人と小さな子どもが野球をしたようなもの。小さな子どもにいくら技術があっても勝つのは大人でしょう? 力負けですよ。だから、大敗後は体力アップのトレーニングを増やしました。

――具体的には?

斎藤 3000ccのエンジンをつくるために必要なのはランを用いた負荷スプリットとウエイトトレーニング。負荷スプリットについては、原始的ですがオフになると山で傾斜20度くらいの坂をダッシュ、片足ケンケン、蛙跳び、サイドステップと様々な動きで15本、20本と上る。グラウンドでの練習にもジャンプやショートスプリント、負荷スプリントといったメニューを取り入れたり、ときには罰ゲームに取り入れたり。1年を通して、みんなで盛り上がりながら取り組む感じでした。

――ウエイトは?

斎藤 幸い学校に設備の整ったトレーニングルームがあったので、週2回は必ず行うように。ベンチプレス、スクワット、デッドリフト、オーバーヘッドプレス……筋トレのBIG4ですね。そして食トレ。当時は自分もトレーニング方法の引き出しが少なかったのですが、今もこの3つはやり方を変えながら続けています。



――そして、2004年の夏には2回目の出場で2勝してベスト16。成果が出ました。

斎藤 初出場と違い、本気で勝ちに行きました。当時の3年生は2002年の入学。初出場で大敗して、体力の大切さを知り、その話を入学時から聞いていましたから。

――初めて入学時から体力にも力を入れて練習にも取り組んだ最初の世代だったんですね。

斎藤 当時はまだ体力が甲子園レベルではない選手たちに「今は県北レベルが3人、県レベルが8人、東北レベルが2人、甲子園レベルが1人。東北レベル以上が3人しかいないようでは勝てないよ」なんて話もしていました。

――斎藤監督の中に甲子園レベルの物差しができたんですね。

斎藤 3年間、甲子園レベルを意識して作り上げたチーム。選手との信頼、絆のレベルも全く違う。「体」だけではなく「心」も「技」も全部、間違っていなかったと思えました。「圧」もできていたと思いますよ。(取材・田澤健一郎/写真・編集部)

(インタビュー後編に続きます)

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