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【あの球児、今何してる?】倉見育瑠(明石商業―日本体育大学)

2021.11.29

4番キャプテンとしてインカレ優勝とMVP



——野球とソフトボール、何が一番違いますか?

小学校の時にソフトボールをやっていたので自信はあったんです。でも小学校の時はピッチャーの球種が真っ直ぐとチェンジアップだけだったんですけど、大学ではボールが上がってくるライズボールとドロップという野球でいうフォークみたいなボール、スライダーとかの(右バッターの外側に)逃げるボールもあって、1年の頃は全然対応できなかったですね。内野守備もファンブルとかボールの握り替えをしていたら絶対に間に合わないですし、挟殺とかでも少しの判断ミスでホームインを許したりしますので、そのあたりも最初は難しかったですね。野球だと捕ってツーステップくらいで投げますけどワンステップかランニングスローが基本ですし。

——明石商業のキャプテンをしていたくらいなので、入部当初から余裕だったのかと勝手に思っていましたけど、そうではなかったんですね。
日体大のソフトボールは大学日本一と聞いていましたし、余裕なんて最初から思ったことないですよ(笑)。

——マウンドからのバッターまでの距離も短いし、塁間も短いから野球よりも反応、判断の速さが求められますね。
そうですね。守備は特に求められますね。

——大学ソフトボールでの一番の思い出は?
今年9月の全日本大学男子選手権(インカレ)で優勝できたことですね。MVPもいただけましたし。去年までのチームは優勝して当たり前と言われていて、今年はそのレギュラー陣がごっそりと抜けて経験のないメンバーでスタートして、「今年は厳しいだろう」という周囲の声も耳に入っていたので、その中で優勝できたことがやはり思い出ですね。

公務員になっても目指す、ソフトボール日本一



——4年前に将来の夢を聞いたときは「いいところに就職したい」と話されていましたね。

なんか、受け答えが全然できていなくて読んでいて恥ずかしいですね(笑)。

——その夢は叶いそうですか?
岐阜県の市役所で働くことになりました。公務員になる予定です。

——公務員ですか! 確かにいいところに就職が決まりましたね(笑)。ちなみにソフトボールは続けられるんですか?
日本リーグに加盟しているソフトボールのクラブチームがあるので、公務員をしながらそこで続ける予定です。

——インタビューを受けた当時、4年後に自分が日体大ソフトボール部のキャプテンをやって日本一になっている姿は想像できましたか?
全然想像できなかったですね。

——4年後、26歳になっている自分はどうなっていたいですか?
仕事がしっかりできる立派な社会人になっていたいですし、その上で社会人でもソフトボールで日本一になれたらいいなと思います。

——倉見さんにとって高校野球とは何でしたか? ひと言で!
「ターニングポイント」でしたね。やっぱり高2の冬に肩をケガしていなければ今頃は関西のどこかの大学で硬式野球をやっていたいと思いますし、そう考えるとソフトボールにも出会えていませんでしたから。

——自分の輝ける場所で一番になれましたね。
本当にそうですね。野球だったら埋もれていたと思いますし、ソフトボールを勧めてくれて進路を提案してくださった狭間先生には感謝しかないですね。6月に教育実習で明石商業に帰ったときも3週間狭間先生の下で色々と学ばせていただいて、今の自分があるのは狭間先生の指導があってこそだと思っています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

——母校の後輩たちにも何かひと言。
高校野球を終わったときに「もっと練習をやっておけばよかった」と絶対に思うと思うので、それを少しでも減らせるように日々の練習を頑張ってほしいということと、高校野球は高校の3年間しかできないので、全力で頑張ってください。

——最後にご両親へも何かひと言!
小さいころから野球をやってきて、大学では特にそうですけどたくさんお金もかかったと思います。それでも応援してくれて、そのお陰で大学でソフトボールで日本一になるという結果を残すことができました。本当にありがとうございました。


ありがとうございました!


「初の夏の甲子園に行きたい」と明石商業時代に答えていた倉見くんに再び会ったら、、、

恩師への感謝を忘れない、
大学ソフトボール界で光り輝く立派な選手、青年になっていました。

(取材・文・写真:永松欣也/写真:日本体育大学男子ソフトボール部提供)

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