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【あの球児、今何してる?】小嶋悠太さん(長野高校→神戸大学)

2021.11.24

4年前にインタビューした球児達も今はもう大学4年生。あの頃語ってくれた夢は叶ったのでしょうか? 高校時代を今はどんなふうに振り返ってくれるのでしょうか? 間もなく社会に羽ばたく、あの頃の球児達に再びお話を聞きました。第1回目に登場するのは長野高校時代にインタビューした神戸大学の小嶋悠太さんです。


最後の夏、試合後のミーティングで号泣

4年前のインタビューはこちら


——4年前になりますが、長野高校3年生の時に「Timely! web」の取材を受けたことを覚えていますか?

覚えています!

——掲載後、周囲の反応、反響などはありましたか?

「なんか載ってるなー!」みたいな感じで冷やかされましたね(笑)。野球部のみんなはもちろん見ていてくれたんですけど、中学時代の友達とかにも「出てたね!」みたいに言われました。

——ちなみにいま、当時のインタビューをいま読んでみてどうですか?
全然面白くないこと話していますね(笑)。すごく優等生を演じている受け答えですよね。

——そう感じるのは大学で関西に行って笑いに厳しくなったからですか?
それもあると思いますね(笑)。

——高校最後の夏は3回線で小諸商業に敗れたんですね。
僕の高校3年間は小諸商業がとても強くて、最後の夏も完敗で3年連続で同じ相手に負けました。でも自分たちの力を出し切って負けたという感覚があったので悔しさよりもやりきった感の方がありましたね。

——最後はやっぱり泣きましたか?
試合に負けた直後は全然でした。でも最後の全員ミーティングのときに3年生から一言ずつ話すんですけど、そこでこみ上げてくるものがあって号泣してしまいましたね。

——キャプテンとして後輩たちにどんなことを話したんですか?
いやぁ、全然覚えていないですね(笑)。でも多分ですけど、3年生が7人しかいなくて試合にも下級生が多くでていましたので「いい経験をしたんだから次につなげてほしい」みたいなことを話したはずですね。号泣しながら(笑)。

——長野高校は県下有数の進学校ですが、負けた直後は「明日から髪を伸ばせるなぁ」「明日からは勉強だ!」とか、思ったりもしましたか?
負けた直後は全然思わなかったですね。髪は物心ついた頃からずっと坊主でしたので髪を伸ばすことへの憧れとかもあまりありませんでした。勉強についてもそれから1、2週間してから−「あぁ、勉強やらなきゃなぁ」という感じでした。

今でも連絡を取り合う仲間たち 

——4年前の甲子園は中村奨成選手(広陵高校→広島)が大活躍した大会でしたが、自分の同級生たちの甲子園は気になりましたか?
試合は見ていました。でも同級生といっても「テレビの中の人たち」という感じで遠い存在として見ていましたね。

——高校野球3年間で一番キツかったことは?
毎年年末に1年を締めくくる最後の練習として20kmのマラソン大会があるんですけど、それが一番キツかったですね。

——高校野球で一番の思い出は?
やっぱり最後の夏の大会ですね。初戦で勝って校歌を歌うということが1つの目標だったんですけど、その目標が達成できたということと、あとはそれまでずっとキャッチャーだったんですけど最後の夏はセカンドにコンバートされて出場したんです。キャッチャーへのこだわりもありましたし、そこに葛藤もあったんですけど、そういう思いも抱えながら試合に勝てて、校歌を歌えたということが一番印象深いというか、思い出ですね。

——当時のチームメイトとは今でも連絡を取り合ったりは?
自分を含めて何人かが大学でも野球を続けていますので、お互いに試合結果を見たりして、試合に出ていたりすると連絡がくる、連絡をするみたいな感じで今も連絡は取り合っています。


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