企画

球速120キロから145キロを実現した相原雅也氏のストーリー①

2016.4.25

 昨年6月にアップされ大反響を呼んだ記事「身長168cm、球速120キロの並の高校球児が、わずか数年で145キロの球を投げる方法」。その著者でもあり、実体験をお持ちの相原雅也さんが、実際にどのような経験をし、どのようなトレーニング方法で145キロの球を投げるようになったのか、そのストーリーをお聞きしました。


 是吉興業株式会社(本社:東京都板橋区)は主に肩や腰など関節部のバランスや動作改善を目的とした健康器具を開発、販売をおこなう会社。その販売事業部マネージャーとして働く相原雅也さん(36)は過去に関東社会人野球、四国アイランドリーグで投手として活躍した経験の持ち主です。高校時代の球速こそ120㌔台半でしたが、トレーニングを重ねて社会人では最速145㌔まで出せるようになったと言います。
「人間の体を持ってすれば誰もが130キロまでは投げられる。しかしそこから先は筋肉の安定性や体の使い方を学ぶ必要がある」と語る相原さんの言葉には実体験ならではの説得力がありました。栄光と挫折、そして挑戦を繰り返した相原さんの野球人生をご紹介していきます。


「大きな勘違いが投手の道へ」
 茨城県取手市に生まれた相原雅也さんは小学校3年生で野球を始めます。元々は投手志望でしたが、身長が足りなかった為、中学、高校では主に内野手としてプレーしていました。

 入部した藤代高校野球部は文武両道の学校で当時の最高成績は県ベスト8。「あまり甲子園を真剣に目指す雰囲気ではなかった。自由な感じでやらせてもらった」と振り返ります。しかし高校2年の冬に転機が訪れます。甲子園出場校の竜ヶ崎一高で長年指揮を執っていた持丸修一監督が就任。後に藤代、常総学院、専大松戸と、着任した高校を全て甲子園に導くことになる名将です。

「すごい人がきたなと思いました」

 2年生の春までは内野手としてスタメンに入っていた相原さんでしたが、高3となり、監督を慕って入部したタレント揃いの1年生が続々と入部。ポジション争いが激化し、徐々に出場機会が減る中、当時バッティングピッチャーをしていた事から、投手に手を挙げます。

「球速は無かったけど、コントロールには自信がありました。ちょうど投手もいなかったので、監督からもやってみろと。僕からすればこれだけの監督に言われて大きな勘違しますよね。なんか可能性があるんじゃないかって。」

 長年憧れ続けたマウンド、しかも甲子園出場監督からもらった言葉が心に火をつけます。どうしたらよりうまく投げられるか、試行錯誤を続けていると、登板の機会も増え、投げる事への欲も高まっていきました。

「嬉しいから色々聞きに行くんですよね。でも監督からしてみれば僕に期待はしていないので、『大丈夫だから、そのままやってろ』と言われる。おお!良いのかと!壮大な勘違いでしたね(笑)」

 しかし現実は厳しいもの。春先こそエース番号をもらいますが、速球は125㌔が良いとこ止まり。変化球でかわす投球にも限界があり、早くも夏には2年生に1番を譲ることとなり、チームは夏の県大会3回戦敗退。最後の夏を11番で終えました。

(取材:小笠原大介)


「球速120キロから145キロを実現した相原雅也氏のストーリー②」へつづく


■相原雅也氏 プロフィール
1980年茨城県取手市生まれ 小学校3年で野球を始める。藤代高校に投手転向。中央学院大学軟式野球部ではエースとして東日本大会連覇。2005年四国アイランドリーグ、高知ファイティングドッグスに入団し、11勝。06年には17勝を挙げて最多勝利。2007年に社会人新日鐵住金かずさマジックに入団。主に中継ぎ、抑えとして登板し2008年に現役引退。現在は是吉興業株式会社 販売事業部のマネージャーと傍ら、怪我をしない投球フォームを伝授する「スローイングクリニック」を主宰する。


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