企画

球速120キロから145キロを実現した相原雅也氏のストーリー②

2016.4.26

 昨年6月にアップされ大反響を呼んだ記事「身長168cm、球速120キロの並の高校球児が、わずか数年で145キロの球を投げる方法」。その著者でもあり、実体験をお持ちの相原雅也さんが、実際にどのような経験をし、どのようなトレーニング方法で145キロの球を投げるようになったのか、そのストーリーをお聞きしました。


「軟式野球への転向、そして大学で出会った友」
 高3の夏休みも終わり、進路を決める時期に差し掛かった時、色々悩んだ相原さんが監督に伝えたのは、推薦入学が決まっていた中央学院大学で軟式野球をやる事でした。その選択の理由を以下の様に語ります。

「野球を続けたいと言っている反面、あのキツイ練習を4年間やる覚悟がなかった。気おくれして自分は大学で硬式をやる器じゃないないと自己減点してしまったんですよね。それでも野球はやりたかったので軟式を選びました」

 大学では投手として活動を始めますが、「どこかで気持ちが切れていた」と話す相原さん、練習もそこそこに試合に出るなど、準備不足も手伝って早々に肩を壊してしまいます。さらに大学1年夏に決定的なでき事が。先輩の計らいで連れて行ってもらった全国大会で登板の機会をもらいますが、肩の痛みもあって自分から交代を要求してしまいます。

「自分も落ちるところまで落ちたなと」

 野球での不調は不思議とそのまま生活面にも影響しはじめるもの。のらりくらりとした大学生活になりかけた時、同学年のチームメイト、元藤将吾さんと学食でかわした会話が状況を一変させます。元藤さんも高校で硬式をやっていたものの、結果が残せず、好きな野球を続ける為に大学で軟式を選ぶという同じ境遇でした。

「このままの状態で大学生活を続けるのか?何かひとつ形を残して、硬式に負けないぐらいの結果を出そう」

 その言葉に奮起した相原さんはそれまで週二回しかおこなっていなかった全体練習に加えて、元藤さんと組んで2人だけで自主練を始めます。さらに高校時代の持丸監督の教え子でつながりのあった石崎トレーナーが経営するジムに通い、「人生初」というウエイトトレーニングを取り入れました。

「トレーニングを始めた頃はろくにスクワットもジャンプもできず、石崎さんにボロクソに言われましたね。正しい姿勢でしゃがむことがこんなに難しいとは」

 体を一から作り始めるトレーニングに最初こそ悪戦苦闘していましたが、徐々に鍛え上げられていく身体。足が速くなるだけでなく、これまで120㌔台だった球速も130㌔台後半まで伸びるなど、明確に効果が表れ始めました。

「もっとうまくなりたい」

 再び、忘れかけていた野球への情熱を取り戻した相原さん。得意の制球力と、かつての内野手の経験が軟式野球の「いかに四死球を出さずに打ち取るか」というセオリーにはまり、着実に成績を残していきます。その熱意が他のチームメイト達にも伝播し、2年生、3年生とチームは東日本大会を連覇。相原さん自身もエースとして50イニング無失点記録を達成するなど、常にリーグで優勝争いをする実力を兼ね備えるまでになりました。

(取材:小笠原大介)


「球速120キロから145キロを実現した相原雅也氏のストーリー③」へつづく


■相原雅也氏 プロフィール
1980年茨城県取手市生まれ 小学校3年で野球を始める。藤代高校に投手転向。中央学院大学軟式野球部ではエースとして東日本大会連覇。2005年四国アイランドリーグ、高知ファイティングドッグスに入団し、11勝。06年には17勝を挙げて最多勝利。2007年に社会人新日鐵住金かずさマジックに入団。主に中継ぎ、抑えとして登板し2008年に現役引退。現在は是吉興業株式会社 販売事業部のマネージャーと傍ら、怪我をしない投球フォームを伝授する「スローイングクリニック」を主宰する。

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