企画

社長になった「球児」に会いにいく|澤井芳信(京都成章出身)株式会社スポーツバックス(2)

2020.12.30

高校時代の自分に言いたいこと

 
――大学では3年生までに必要な単位を全部取って最後の1年はプロを目指して野球一本で臨んだのに大スランプ。社会人野球では4年間なかなか試合にも出られなかった。こういった経験を今はどのように振り返ることができますか?

そういった経験があって今があると思っていますし、決して遠回りだったとは思っていないですね。社会人野球時代は精神的にキツくてイップスにもなりました。2年目の終わりに野球を辞めようと思いましたが、野球を逃げるように辞めるというのは一生引きずると思ったので、最後の2年は「ちゃんとイップスを治して試合にも出られるようになって納得して辞めよう」と思って取り組んでいました。そんな風に自分のなかで思考回路をパンと切り替えて苦しいことに向かい合っていました。

――高校時代にキツい練習などを乗り越えてきた経験があったからこそ、社会に出て困難に直面してもそれを乗り越える術が身についていたのかもしれないですね。
本当にそう思いますね。特に高校時代にコンディショニングのトレーニングもやってきていたのは大きかったと思いますね。精神論だけで終わらず、体と精神面の両方からアプローチして改善していく習慣がついていたといいますか。イップスも技術的なアプローチと精神面でのアプローチの両方で克服することができました。

社会人野球時代の澤井さん。苦しいことの方が多かったが「それがあったから今がある」と前向きに振り返る

――高校時代の自分にひとつだけアドバイスを送れるとしたら何ていいますか?

「お前、プロ行けへんぞ〜」ですかね(笑)。

――(笑)。
それは冗談として(笑)。うーん、なんやろ? 「もうちょっと自分の進路に興味を持て」ですかね。

――同志社大学を出ているのにですか?
もちろん同志社大学に行けたことは人生において本当によかったと思っています。でも高校時代は漠然と「同志社、立命館に行けたらいいなぁ」くらいにしか思っていなくて。大学に声をかけて頂いたのも甲子園で準優勝したお陰ですしね。

どこの大学だったら自分の野球の能力でいける、どこの大学だったら学力でいけるとか、興味を持てというか「自分でもっと進路をちゃんと考えなさいよ」と言いたいですね。

家庭の事情で関東の大学には行けなくて、自宅から通える範囲の大学しか選択肢になかったのですが、部長からは「慶応大学を受けてみないか?」とも言われていたんです。そんなこともありましたので。そのときは東京六大学野球のこともよく知らなかったんですよね。

――最後に高校野球の先輩として後輩たちに何か一言お願いします!
いろんなことに自分なりの工夫を持って取り組んで欲しいと思います。言われたことをそのままやるだけではなく、自分なりのアレンジを加える。勉強もそうですよね。やれる時間は限られているけれど、工夫してできることをしっかりやる。

あとは、「目標を持て」といわれても、甲子園という目標はあるけれどその先の人生での目標とか、やりたいことを見つけられていない人も多いと思います。そういうときにも様々なことにアプローチしてみるといった工夫をする。そういう「工夫する精神」を持つと、人生にいろんなエッセンスが加わっていって自分のキャパシティーが広がっていくと思います。

――ありがとうございました。ちなみにいまも野球、されていますか?
今でも草野球、めちゃしていますよ! たまに早朝からやっています(笑)。

 (取材・写真:永松欣也)


▼プロフィール

澤井芳信(京都成章出身)
1998年、京都成章の「一番・ショート・主将」としてチームを率い、春夏連続で甲子園出場。夏には決勝まで駒を進め、“怪物”松坂大輔を擁する横浜高校と対戦し準優勝。高校卒業後は同志社大へ進み、社会人野球のかずさマジック(現・新日鐵住金かずさマジック)でプレーした後、スポーツマネジメントの会社に転職。現在は上原浩治、平石洋介、鈴木誠也など、野球選手をはじめとした多くのアスリート等マネジメントする株式会社スポーツバックス(https://www.sportsbacks.com/)の代表取締役を務める。


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