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牛島和彦氏が語る、甲子園の歴史に残る“あの一打”の真相

2016.7.26


相棒ドカベンと共に歩んだ快進撃

今からさかのぼること37年前の1979年夏。甲子園で世間の注目をぶっちぎりに集めた二人組がいた。それは大阪浪商(現・大体大浪商高)のエース牛島和彦氏とキャッチャーの“ドカベン”こと故・香川伸行氏のバッテリーである。

秋の近畿大会を制し、春のセンバツでは勢いそのままに準優勝に輝いた浪商。その中でも2年時から名門の看板を背負った牛島・香川のバッテリーは当時、全国区ともいえる人気と実力を擁していた。

甲子園に出場するための最後の大一番。夏の大阪大会決勝戦では前年夏の覇者であるPL学園を大差で破り、円熟味を増したバッテリーは夏の甲子園への切符を手にする。

ドラマチックな一打で甲子園のスターの座を手にする

“夏の甲子園3試合連続本塁打”という離れ業を成し遂げたキャッチャー香川氏のバッティングは大会でもやはり群を抜いていた。

「ホームランはドカベンに任せればいい。バッティングの良い他のチームメイトも含め、みんなそう思っていました」。今は亡き女房役の活躍を振り返り牛島氏もこう語る。

しかし、甲子園の歴史に残る一発を放ったのは香川氏ではなく、エースの牛島氏であった。それは甲子園初戦上尾高校のエース仁村徹氏(現・東北楽天ゴールデンイーグルス一軍ヘッドコーチ)から放った劇的な一発。

「アウトコースへの投球が絶品な投手でした。ストレートも良かったので、緩急をつけたカーブに翻弄されましたね」。そう牛島氏が語るように、仁村氏はアンダースロー特有のクセのある球を十分に生かし、9回2死まで得点を許さなかった。

だが、2死1塁の状況でバッターボックスに立った牛島氏が内角に入ってくる変化球を鋭いスイングで叩き、同点となる2点本塁打を打つ。エースの土壇場での1打で、形勢を互角にした浪商バッテリーは本来のペースに立ち戻り、延長戦を制した。その後チームはベスト4まで勝ち上がり、選抜に続き好成績を残すとともに牛島氏は「甲子園のスター」の座を我が物にした。

インコースに決め打ちして立った打席

ドラマチックな一発を牛島氏はこう振り返る。

「アウトコースが良いことはわかっていたので、あえてインコースに決め打ちしてバッターボックスに立った結果があの同点ホームランでした」。

もしかすると、外角を諦めた打者に対し、バットに吸い込まれるように当たったあの白球は、牛島氏の強い覚悟に魅入られたのかもしれない。

今年の甲子園では誰がドラマチックな一打を放つか注目である。


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