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【東北】前監督の「楽しむ野球」を結果に繋げた!我妻監督率いる東北高の現在地

2025.12.15

7年ぶり3度目の母校監督就任

2025年秋の宮城大会からコンビを組む鈴木雄太部長(写真左)と我妻敏監督
我妻監督は今年の8月、7年ぶりに母校の監督に復帰した。「7年ぶり3回目の監督就任」となる。

選手時代は投手で2年春にセンバツ大会出場、3年時は投手兼主将を務めた。その後、東北福祉大に進み、副主将として4年時に全日本大学選手権優勝。一度一般企業に就職し、2005年に母校の社会科教員として赴任。27歳の時に監督として2009年夏に甲子園出場。部長を経て2013年に再び監督に就任し34歳の16年夏に甲子園出場。一度退任し、2019年から東北と「高・大包括連結協定」を結ぶ東北福祉大に勤務。大学ではコーチとして野球部をサポートし、今年2025年に全日本大学選手権で7年ぶり4度目の優勝を果たした。

現在43歳。20代、30代、40代の3世代で母校監督を務める異例の高校野球指導者だ。
「大学日本一になったあと、五十嵐征彦校長から監督として母校に戻ってこないかと話がありました。高校野球から離れた7年間の期間は、指導者としての視野を広げる時間となりましたね。目の前の大学生だけでなく、練習試合で社会人野球の方と接したりと指導の視野が広がりました。私生活では、息子のチームで少年野球の審判をしたりと、学童野球の世界も見ることができた。勉強になった7年間でしたね」と振り返る。

校長に直訴した「たったひとつの条件」

7年の間、野球部を取り巻く環境は、いろいろなことがあった。コロナ禍があり、2022年に仙台育英が東北初の全国制覇があった。2023年春には佐藤洋監督のもとでセンバツ出場を果たし「楽しむ野球」を存分に発揮。その佐藤前監督が今年7月に任期満了で退任したあと、11月27日に急性大動脈解離のため急逝するという悲しい出来事があった。享年63歳。東北高校野球部の歴史に大きな足跡を残した指導者を失った悲しみは深い。

五十嵐校長は語る。「わが校のさまざまな運動部の生徒が全国で活躍している中、野球部が夏の甲子園出場に行けていないことは、やっぱり寂しく思っていました。満を持して我妻監督に戻ってきてもらい、佐藤前監督からいいバトンを受け継いで強いチームを作ってほしいと願っています」。

夏ごろ、校長から急なオファーを受けた我妻監督からの条件はただ一つだった。
「コーチに鈴木雄太をおいてほしい」。
2009年の甲子園出場時の教え子で、2016年のコーチを務めた“右腕”。離職していた鈴木を説得し教員として採用。コーチ兼副部長として野球部に呼び戻すところから再建は始まった。

9月。秋の県大会に向けた練習場に足を踏み入れると、選手たちが真剣な中にもいい笑顔で筋力トレーニングに打ち込んでいた。埼玉の中学校から佐藤前監督を慕って越境入学した西田勝喜マネージャーは「洋さんは、野球の本当の楽しさを教えてくれました。自分たちで考えて、行動し、練習する力がついたと思います」と目を輝かせていた。監督が代わり、新チームが始まっても、選手たちは自主的に動き、取材に対しても明るくポジティブ。言語化する能力が根付いていた。ではどのようにして前監督の「楽しむ野球」を結果につなげたのか。後編では、我妻監督の指導論に迫る。(続く)

(文・写真/樫本ゆき)

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