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【東北高校】2ケタ背番号の仕事は重要だ(鈴木コーチ)

2016.6.7


東北高校の強さの裏には、2015年2月に母校コーチに就任した鈴木コーチの存在がある。選手時代は背番号12の控え捕手として高3夏に甲子園出場した。控え選手だったからこそ分かるメンバー外の思い、役割を聞いた。


東北高校野球部・コーチ
鈴木雄太

1991年11月30日生まれ。
東北高校で2009年夏の甲子園出場。東北福祉大では軟式野球部に所属し、主将兼捕手と4年夏に全国制覇を達成。







――選手時代、初めてベンチ入りしたのはいつでしたか?
1年秋に記録員としてベンチ入りしました。萩野裕輔さん(現東芝)がエースで、その秋に東北大会で優勝した年です。当時の武内充総監督から『お前、元気いいな。記録員として入れ』と言われて。その1年後の2年秋、背番号20をもらってメンバー入りしました。

――初めて背番号をもらった時の感想は?
正直言うと『20番なんて恥ずかしい。だったら外してくれ』と思いました。でも『東北高校のメンバーは宮城県のメンバー』という誇りもあり、切り替えることができました。

――3年夏は背番号12だったそうですね。どんな役割を任されましたか?
ブルペンキャッチャーです。投手が3本柱だったので、ブルペンの様子を伝達する係でした。夏の甲子園も12番をいただきました。

――控えとしても、重要な役割りでしたね。
甲子園の組み合わせ抽選会の時、朝日新聞の記者からなぜか取材を受けたんです。大会中も記者に囲まれることが多くて、熱闘甲子園の長島三奈さんも僕のところに来てくださいました。我妻監督が『チームのことはアイツに聞いて下さい』と言っていたそうなんです。信頼してくれていたんだなと後になって気付きました。

――控え選手を経験して、得たことは?
3年間で10打席しか立ってない僕みたいな選手でも、勝つためにできる仕事はあると思いました。メンバーから外れると『なんで俺が?』と言うけど、そう思う前に準備をしてきたか?といつも選手に問いかけています。

――メンバー入りした選手、出来なかった選手にメッセージを!!
夏の戦いは私生活、学校生活、すべてがプレーに出るので覚悟を持ってもらいたい。今回メンバーから外れた選手には、いつか必ずチャンスが来るから油断しないで欲しい。自分の武器を磨いて、しっかり準備して下さい。

2009年夏の甲子園に出場した鈴木コーチ。背番号12の控え捕手として投手陣を盛り上げ、ベスト16入り。縁の下の力持ちとしても、チームの原動力になった。


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