強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか?
昨年秋の東京都大会で準優勝し、夏の甲子園への期待も高まる創価高校の堀内尊法監督に話を聞いた後編です。(聞き手:菊地高弘)
まずは自分の部屋をきれいに
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――堀内監督といえば、試合前のシートノックで見せる「スイッチノック」が有名です。右打者としても左打者としても見事に打ち分けるノックは、惚れ惚れします。堀内 あれも「失敗」から始まっているんです。
――失敗からですか?
堀内 松山商にいた高校時代、監督の窪田欣也さんは左打ちで、コーチだった澤田勝彦さんは右打ちでした。私がレフトを守っていた時、澤田先生がライン際に打った打球はうまく捕れたんですが、窪田監督の打った打球はどんどん切れていって捕れなくて。「右打者と左打者では打球が全然違うんだ!」と学びました。甲子園に出た時に「左打者やからレフト線に寄っておこう」と守っていたら、ちょうどレフト線に切れていくファウルフライが飛んできて、うまく捕ることができました。
――右打者と左打者の打球の質の違いが、スイッチノックの根底にあると。
堀内 創価大のコーチになった時、「一人二役できたら生徒がうまくなる」と思いました。岸雅司監督からは「『選手がうまくなれ』という気持ちで打てよ」と言われていました。岸監督も、いつも丁寧にノックを打たれていましたから。
――堀内監督は高校2年秋まで右打者で、それ以降は左打者に転向したそうですね。
堀内 センバツに行けなくなったあと、「打てないから反対で打て」と言われたので。理不尽ですよね(笑)。飛ばすのは右打席のほうが得意だったので、ノックも右で打っていました。左でのノックは毎日300~400球打って、ゴロ、ライナー、フライと打ち分けられるように練習しました。選手にも「変な回転でごめんな」と謝りながら受けてもらって。最終的に岸監督から「お前、どっちが得意なんだ?」と聞かれた時には、「これで妄想とスイッチノックができる」と思いましたね(笑)。
――左右どちらでも遜色ないレベルになったということですね。ノックを打つ際のこだわりはありますか?
堀内 今は寒い時期ですけど、ジャンパーやネックウォーマーは絶対に脱ぎます。生徒はユニホームでノックを受けるのですから。もし、コーチがジャンパー姿でノックを打っていたら、怒りますよ(笑)。
――率先垂範という意味では、今日グラウンドにお邪魔した時に、堀内監督が自らグラウンド周辺の雑草取りをしていたのが印象的でした。
堀内 環境整備は大学の時からですね。岸監督もいつもやられていて、毎日拾ったゴミを持ってグラウンドに来られていました。環境が乱れると、心も乱れる。野球の試合に負ける時も、いつも心が乱れて負けますから。
――創価高の監督に就任された当初はいかがでしたか?
堀内 正直に言うと、ショックでした。グランド脇に雑草があったり、フェンスにクモの巣が張っていたり、左中間にはハチの巣があっても誰も気づかないんです。せっかく素晴らしい設備があっても、これでは勝てないと思いました。生徒たちには「まずは自分の部屋をきれいにしなさい」と言いました。
――「掃除をする時間があるなら、練習をしたい」という部員もいるのでは?
堀内 たしかに掃除をする時間が惜しいくらい、生徒たちは忙しいですからね。でも、日常的に環境を整備していると細かな部分に気づけるようになるんです。相手チームの変化はもちろん、チームメートや自分のいい部分にも気づけるようになる。秋からエースになった森山(秀敏)なんか当初は3番手だったんですけど、寮の部屋が一番きれいで、最終的に投手としての安定感も一番になりました。