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【上田西】吉崎琢朗監督|技術だけ教えようとしてもチームは強くならない

2024.2.10

強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 2021年春、2023年夏に上田西を甲子園出場に導いた吉崎琢朗監督に話を聞きました(聞き手:西尾典文)。


技術を教える前に必要なことがある

吉崎監督は同じ長野県内の強豪である佐久長聖の出身で、高校時代はエースで4番として活躍。卒業後宇は大東文化大、社会人野球の一光でもプレー。現役引退後はスポーツ用品メーカー勤務を経て、母校の大東文化大で教員免許を取得しながら野球部のコーチを務め、2013年に原公彦前監督の誘いで上田西のコーチに就任。2019年12月からは監督となり、2021年春、2023年夏と2度の甲子園出場。さらに昨年のドラフトでは横山聖哉がオリックスに1位指名を受けています。監督就任後は順風満帆にキャリアを重ねているようにも見えますが、コーチ時代を通じてどんな失敗や後悔があったのでしょうか。


——これまでの指導者としての失敗談や後悔、そしてそれをどのように現在どのように生かしているかということについて伺います。まず思いつくことではどんな失敗がありますでしょうか。

吉崎 前任の原監督が守備・走塁を重視されていたこともあって、自分が監督になったら違う色を出さないといけないんじゃないかという気持ちが強くて、それが上手くいかなかったと思いますね。
監督になって最初の年は特に全体的に体のサイズとか打力のある選手を優先的にレギュラーにして、打ち勝とうという自分の理想を重視し過ぎていました。原監督に残していただいた選手がいたのでセンバツは割とすぐに出られましたけど、甲子園では勝てませんでしたし、その後もなかなかうまくいきませんでした。
それから少し考え方が変わって、小柄でも体をしっかり使いこなせてスピードのある選手も上手く生かそうと思うようになりました。自分がやりたいことだけじゃなくて、相手にとって嫌な選手はどんな選手かが重要ですよね。去年の夏のチームでいうと、サードの片平(結絆)とライトの木次(志颯)が小柄なんですけど、上手くつなぎ役になってくれて結果も出たのかなと思います。

——コーチから監督になられた方のお話を聞くと、同じことをしていてはダメだと考えるケースも多いみたいですね。

吉崎 それはありますね。あと指導法についていうと、監督になった今も言いたいことは言うんですけど、コーチの時の方が何も考えずに言えていた部分はあったと思います。ただ監督になると、選手に何か言った一言が他の選手にも広がって影響力が強いというか、そういうことは感じるので、悩みとまでは言いませんけど、ちょっと言い方とか、何を言うか考えないといけないなと思うことはありますね。
私がいる時だけアピールするための自主練みたいに選手がなっているなと感じることもあったので。どう接するのが一番良いかみたいなことは今でもよく考えています。



——コーチ時代から含めると10年間指導されていますが、最初に指導を始めたころと比べてやり方とか考え方で変わった部分はありますか?

吉崎 コーチになって最初の頃はとにかく野球の技術を教えて、それで強くしたいという思いが強かったですね。でも技術だけ教えようとしてもチームは強くならないですし、技術を教える前に必要なことがあると思うようになりました。ちゃんとまずはチーム全体に考えを共有できているか。野球以外のところでも目標を立てて、達成していくことを積み重ねていく。そうやっていくことで選手も自信になりますし、結果として技術も身についていくんだなと。
あとこれは指導者としての失敗ではないですけど、自分が選手の時は試合で常に考え込んでしまって、練習でやったことを出し切れなかった経験があるので、選手たちには練習でやったことを試合で発揮できるようにするためにはどうすれば良いのかということはよく考えるようになりました。


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