学校・チーム

大阪桐蔭に真っ向から食らいついた興国。快進撃の裏にあった野球部再生ストーリー

2021.8.6

大阪大会の決勝戦。西の横綱「大阪桐蔭」を相手に9回二死で2点差を追いついた気迫のプレーで一躍脚光を浴びた「興国」。甲子園にはわずかに及ばなかったが、同校OBであるボクシング井岡一翔選手も「興国高校野球部の未来は明るい」とコメントをするなど多くの観客に感動を与えた。そんな注目校の強さの秘訣を探る。


「チーム作りは簡単にはいかないですが、謙虚にスピード感を持って強化したい。いくときは一気」

「大阪大会を粘り強く勝つことができ、勉強を多くさせて頂いたので甲子園につなげたいと思います」。

甲子園大会のオンライン抽選が行われた3日、東海大菅生との対戦が決まった大阪桐蔭、西谷浩一監督のコメントが各所で紹介されていた。激戦続きだった大阪大会の余韻を感じさせる決意でもあったが、改めて、大阪桐蔭にとっては実に厳しい大阪の夏だった。 

金光大阪との準々決勝は8回二死、関大北陽との準決勝は9回一死までリードを許し、興国との決勝は9回二死から2点差を追いつかれた。それでも最後に残ったのは大阪桐蔭で、その底力と日本一へ賭ける執念は実に見事だったが、戦いを見終えた時、同時に頭に残ったのは、興国野球部の眼前に広がる無限の可能性だった。

「大阪桐蔭にリベンジするというのが彼らの目標でここまできましたが、(履正社と延長14回を戦った)昨日の今日ということでゲームが壊れてしまうんじゃないかという心配の方が正直ありました。でも、そんな思いに反して、ほんとに、高校生の可能性というのか、成長というのか、信じられないほどの姿になるんだ、というのを監督として初めて体験させてもらった。もちろん、負けた悔しさはあるんですけど、生徒たちにはありがとうと言いたいです」。

閉会式前に5分だけ用意された取材時間(その後は閉会式後)。ベンチ前で泣き崩れる生徒たちに時折目を向けながら、選手と同じ坊主頭の喜多隆志監督が素直な思いを口にした。昨秋、5回コールドで敗れた王者相手に引くことなく挑み続けての大接戦。生徒たちの戦う姿勢が何より嬉しかったのだろう、サヨナラ負けで46年ぶりの甲子園を逃した直後にあって、何とも清々しい表情が印象的だった。


激闘の余韻漂う大阪大会の閉会式。

閉会式を終えた選手たちの中から再びすすりあげる声が漏れていたベンチに突如、張りのある女性の声が響いてきた。

「ありがとうございました! ナイスゲームでした! 興国の誇りやからね君らは。今日の戦いは勝ち負けじゃないよ、君らの気持ちが全部出ていた。一生の宝にして下さい、これが興国の宝物にもなる。あなた方は素晴らしい、私の愛する生徒たちです。硬式野球部としてやらなあかんことをしっかりとやったからこそ素晴らしい戦いができた。お疲れ様、おめでとう準優勝!」。

声の主は学園の理事長で学園長も兼ねる草島葉子。かつては大手企業の人材育成やコンサルティングなど、幅広く活動し、近年は革新的な学園経営者として多方面から注目を集める人物だ。この学園トップの熱が野球部に新たな光を当て、そこからつながっての見事な大阪準優勝でもあった。


学校はナニワのシンボル、通天閣からも程近い大阪市天王寺区の街中にある(グラウンドは車で約50分の枚方市)。野球部は夏の50回大会(68年)で甲子園初出場を果たし、日本一に輝いた歴史を持つ。その前後も大阪私学7強に数えられ強さを誇ったが、80年代後半から学校経営の傾きに合わせるように低迷期に突入。そこへ登場したのが97年より理事として興国勤務となった草島だった。

のちに3代目理事長となると、強力なリーダーシップを発揮。一時は経営破綻の危機も囁かれた学校を立て直し、今では大阪でも5校となった男子校を生徒数2,300人を超えるマンモス校として再生。個々の長所を磨き、得意分野で夢を追う「オンリーワン教育」を掲げ、全国トップクラスの力を持つサッカー、ボクシングなどの部活動も盛ん。そこへ今も公式戦には極力足を運び、大阪高野連の副会長も務める野球好きの草島が強い興国を取り戻すべく野球部再生の道を模索した。

今につながる流れが生まれたのは2015年だった。前法政大学の野球部助監督で、かつては村野工業の監督、部長として甲子園出場の経験も持つ田中英樹(現部長)を監督として迎え入れた。当時、野球部は4大会連続初戦負けで選手たちの目標も定まっていなかったが、投手コーチに清原大貴(元阪神)、2017年春からは前智弁和歌山部長だった喜多が部長として加わり、指導陣も充実。地道な指導を重ねながら、新生興国への一歩を踏み出した当時、田中はこう語っていた。

「チーム作りは簡単にはいかないですけど、謙虚に、スピード感を持って強化したい。いくときは一気。大阪桐蔭、履正社とがっぷり四つに組んで戦えるようなチームを作りたい」。


興国野球部再生のキーマンでもある喜多隆志監督。

徐々にチームとして形となり始めていた18年からは喜多が監督に就任。智弁和歌山時代の97年には中軸を打ち、中谷仁、高塚信幸らと日本一を経験。慶応大を経てドラフト1巡目で千葉ロッテへ入団し、5年間プレー。その後、アマチュア野球の指導者を目指し朝日大学(岐阜市)の野球部でコーチとして指導の傍ら、助教授として2年間教壇に立ち、アマチュア資格を回復(13年からは研修受講で資格回復が認められるようになったが当時は2年間教壇に立つことが義務付けられていた)。旧式の規定で復帰を果たした最後の元プロでもある。

2011年に母校の智弁和歌山へ赴任。高嶋仁の後継候補と目されたがタイミングのある話。6年務めたのち、17年に大阪の興国へ。着任したのは大阪桐蔭と履正社による史上初の大阪対決で沸いた選抜決勝の翌日。選手たちへの挨拶で喜多も2強の話題を口にし、こう言った。

「大阪で甲子園に行くには大阪桐蔭、履正社を倒さないといけない。やるならベスト8や16じゃなく優勝。これから大阪桐蔭、履正社を倒すチームを作っていこう」。

喜多が生徒たちに接する中で最も大切にしているのは「当たり前のことを当たり前にやること」。まずは学校生活をしっかりと過ごし、その上での野球。グラウンドでも野球でも当たり前にこだわる。捕れる球を捕る。全力疾走、カバーリングを怠らない。しっかりとバントを決める。2強に一歩でも近づくため、コツコツと地道な練習を積み重ねた。


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