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社長になった「球児」に会いにいく|米沢谷友広(秋田商業出身)グローバルポーターズ株式会社代表(2)

2020.9.14

働きながら、気合と根性で資格取得



ーー次に選ばれたのがAmazonですね。とてもグローバルな感じがしますが英語は喋れたんですか?
いえいえ、全くダメでした。

ーーそれはゼビオの時から?
はい、英検で言うと3級程度でした。

ーーどのように英語を習得されたんですか?
ゼビオにいた頃の後半から少しずつ勉強していました。経営企画室で事業開発やグループ投融資チームに所属している中で米国公認会計士に興味をもったのがきっかけで、オンラインで単位取得ができるカリフォルニア大学のクラスを受け始めたんです。そこで事業投資やファイナンスなど25単位を取得しないと受験資格すらなかったので必要に駆られて。仕事が終わって帰宅してから勉強するというのを2年くらい続けていました。

ーー授業は当然英語ですよね? 初めから分かりました?
そりゃ、全くわかりませんよ(笑)。学校では簿記会計しか真面目に勉強してないですから。分からない時はネットで調べたり、留学経験のある友人に教えてもらったりしていました。

ーー秋田商業野球部で培われた気合と根性でやり切ったんですね。
(笑)。でも本当にそうだと思います。伝統校で朝から晩まで厳しく鍛えられたから頑張れたんだと思いますよ。

ーー転職先としてAmazonを選ばれた理由は?
ゼビオは店、リアルな店舗ですよね。対してAmazonは対極のネットの世界で急成長している。リアル店舗のことはある意味やりきったので次はネットの世界でナンバー1の企業に行きたいと。そこで(将来自分が)ものを作ったときのために、リアル店舗でも売れる、ネットでも売れるというそのノウハウを学びたかったからですね。

ーー将来、自分でグローブを作って起業するということを前提にAmazonを選ばれたということですね。
そうですね。ただAmazonでは最初は野球用品や他のスポーツ用品じゃなかったですね。まさかの釣具の担当だったんですけど、得意じゃない分野のものをネットで売ることがとても勉強になりましたね。スポーツとは商慣習も全然違いますし、商品数も数十万点あって最初は苦労しましたが、いずれ得意な分野のものを売れる様になったらもっと結果を出せるだろうとも思って前向きに頑張れました。

ーー何年くらい働かれたのですか?
6年くらいですね。色々と経験をさせていただいて、ネットでものが売れるメカニズムを学ぶことができました。それに加えて、自分が作りたいものではなく、お客様に求められているものを作る。少しだけ今より便利になるもの、喜んでもらえるものを作る。マーケティングの基本ですよね。そして商品ページを使ってお客様に分かりやすく伝える。このプロセスを在籍中に色々なメーカーさんと取り組ませていただきました。自分が得意な野球用品以外で成功や失敗を繰り返す中で、いよいよずっと思い描いてきた野球用品を海外工場で作って輸入すれば多分売れるなと自信が芽生えてきたんです。それで「これは起業のタイミングだ」と思って辞めて現在の会社(グローバルポーターズ株式会社)を立上げました。

次回に続きます。
(取材・構成/永松欣也)

▼プロフィール

米沢谷友広(秋田商業出身)
神奈川大学を経てスポーツ小売業大手ゼビオ株式会社に入社。経営企画室でスポーツ事業に関わる広報活動やスポンサード、新規事業開発、M&A等の投資関連業務に従事。プロ野球独立リーグやJリーグ、アイスホッケークラブ等の運営にも関わり、スポーツ小売やスポンサーサイドからみたクラブチーム経営に携わる。その間、カリフォルニア大学にてアントレプレナーシップやビジネスインキュベーション、コーポレートファイナンス単位を取得。その後はAmazon Japanにてスポーツ&アウトドア事業部の商品戦略部統括部長などを歴任し、2017年に現在の会社グローバルポーターズ株式会社(https://www.global-porters.com)を起業。トータルベースボールカンパニー構想の実現を目指して野球界の発展に努めている。


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