企画

社長になった「球児」に会いにいく|米沢谷友広(秋田商業出身)グローバルポーターズ株式会社代表(1)

2020.9.10

高校野球を頑張っている皆さんにもやがて社会に出て働く日が訪れます。まだまだ先のことかもしれません。でも今から「自分は将来どんな仕事をしたいのか?」を考えていると、進むべき道、進路がぼんやりと見えてくると思います。このコーナーでは、かつては高校野球を頑張り、現在は社長として活躍されている”高校野球の先輩”に「仕事」、そして「働く」ということについてお話を伺っています。

今回お話を聞いたのはグローバルポーターズ株式会社代表で、秋田商業で甲子園も経験している米沢谷友広さん。まずは高校時代のことを聞きました。


【目次】
逃し続けた甲子園
憧れの甲子園、まさかのメンバー漏れ
”英雄”に憧れ、海外志向へ


▼米沢谷さんプロフィール
米沢谷友広(秋田商業出身)。神奈川大学を経てスポーツ小売業大手ゼビオ株式会社に入社。経営企画室でスポーツ事業に関わる広報活動やスポンサード、新規事業開発、M&A等の投資関連業務に従事。プロ野球独立リーグやJリーグ、アイスホッケークラブ等の運営にも関わり、スポーツ小売やスポンサーサイドからみたクラブチーム経営に携わる。その間、カリフォルニア大学にてアントレプレナーシップやビジネスインキュベーション、コーポレートファイナンス単位を取得。その後はAmazon Japanにてスポーツ&アウトドア事業部の商品戦略部統括部長などを歴任し、2017年に現在の会社グローバルポーターズ株式会社(https://www.global-porters.com)を起業。トータルベースボールカンパニー構想の実現を目指して野球界の発展に努めている。

逃し続けた甲子園


ーー米沢谷さんは名門秋田商業で甲子園に出られているそうですね。何年の時ですか?
3年の夏ですね。1年の夏は決勝で金足農に一時は10点リードしていたんですけどそこから大逆転されて、2年秋の東北大会もあと一つ勝てばセンバツだったんですけど東北高校に負けて逃して。最後のチャンスでやっとでしたね。

ーー1年の夏はなかなか衝撃的な負け方ですね...
スタンドから応援していたのですが、悔しかったですね。前の年に石川雅規さん(現東京ヤクルト)がエースで甲子園でベスト16まで行かれていて、中学の時に「(秋田商業にきたら)5回甲子園に出れる」って声をかけていただいて、僕らも5回甲子園に行くつもりで片道2時間かかる場所にある秋田商業を選んで寮にまで入ってましたから。5回行くつもりだった甲子園がいきなり目前で潰えてしまって...めちゃめちゃ悔しかったですね。

ーー5回出るつもりで入学したのに「1回もいけないかも...」という焦りはありました?
3年のときは攝津正(元ソフトバンク)と加藤光教(元中日)というプロレベルが2枚いてセンバツでもベスト8まで行ってる秋田経法大附属(現・明桜高校)がライバルでした。なので本当に「甲子園に行けないかも...」とは思いましたね。

ーー最後の夏に決勝で勝って甲子園を決めた瞬間のことは覚えていますか?
最後の夏はピッチャーの4番手だったんですけど、ベンチから飛び出してマウンドに向かって走ってるうちに大号泣してましたね(笑)。3年生はみんな泣いてましたね。

ーー甲子園出場を決めた日から甲子園での試合まで、どんな感じで過ごすのですか?
決勝の次の日から2、3日はランニングとかストレッチとかのコンディショニングがメインでしたね。その後は通常のガチ練習でしたね。あとは東北とか北海道のチームがよくやる、長袖を着たりして暑さ対策の練習をしていましたね。真夏なのに冬トレと同じようなウエアを着込んで。

ーー毎日「あと○にちで甲子園だ」みたいなワクワクした気持ちで過ごすんですか?
そうです、そうです。

ーー甲子園での目標は?
目標はベスト4でしたね。前年の新チーム結成から秋の東北大会では負けてしまいましたが秋田県内ではずっと無敗でしたから。監督さんもベスト4は狙えるだろうと思ったのだと思います。実際は開会式直後の開幕戦でその年ベスト4まで進む育英高校(兵庫県)に9-2で負けてしまったのですが。相手が地元の高校ということもあり完全なアウェイでしたね。何もできませんでした。浮き足立ちまくりましたね(笑)。


PICK UP!

新着情報