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【県立相模原】佐相眞澄監督から学ぶ強豪・私立と互角に戦うために必要なこと

2019.12.17

激戦区の神奈川で進学校ながら強豪校と互角の勝負を繰り広げている県立相模原。この夏も横浜高校を破り準決勝進出を果たして大きな話題となった。県立相模原を指導する佐相眞澄監督にこれまでの経験を生かしたチーム作りについて聞きました。


軟式でも打ち勝つ野球!幅広い交流でレベルアップ

佐相監督は日本体育大学卒業後、1981年に相模原市立新町中学に着任。当初は水泳部の顧問を務め、5年後に野球部の顧問を務め市内大会を制覇した。

その後に異動した相模原市立大沢中で92年に全日本少年軟式野球大会で3位、相模原市立東林中では97年の全国中学校軟式野球大会でベスト8、翌98年に同大会で3位、さらに2001年にはKボール全国優勝を飾り、世界大会では3位となるなど、数々の実績を残してきた。

中学軟式野球というと比較的ロースコアで1点を競いあう展開が多い。当時から佐相監督のモットーは選手の将来を考え、「打ち勝つ野球」を掲げている。
「当時から5点、6点とる野球を心がけていました。打てる選手じゃないと高校野球では通用しない。(県立高校を指導している)今の立場とは逆で、私立で活躍できるような選手に育てることを意識していました」。





中学の教員時代は生徒指導を担当していたので、普段の生活から生徒にどういう声をかけたら受け入れてもらえるかよく考えていた。

関東大会、全国大会と勝ち進むうちに指導者同士のネットワークも広がり、そのことも大きなプラスだった。
「修徳中(東京)の監督だった小田川(雅彦・現堀越高監督)先生、星稜中(石川)の監督だった山本(雅弘・現遊学館高監督)先生、千葉の常盤平や松戸六中で監督をされていた石井(忠道・前松戸国際監督)先生などと、それぞれがテーマに沿って資料を持ち寄って、よく勉強会をしていました。山本先生は映像の使い方、石井先生は守備について、小田川先生には、夏に勝つには一度春が終わった後にチームの状態を落とした方がいいと教わりました」。

佐相監督は打撃のことをよく話すなど、指導者同志が情報交換することで互いのチームがレベルアップしていった。


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