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【明石商業】卒業後も選手たちが伸びる理由

2019.12.16

 明石商から初めてのプロ野球選手が誕生したのは昨年。西武からドラフト1位指名を受けた松本航(日体大)だ。そして来年のドラフト候補に挙がる山崎伊織(東海大)、吉高壮(日体大)、さらに中森俊介、来田涼斗(共に2年)と在校生にも注目選手が多い。すっかり全国区となった明石商の選手が大学でもモチベーションを維持し続ける理由と、明石商の普段の取り組みに迫った。


狭間善徳監督は、毎年12月になると2年生部員と進路について一人一人と面談を行う。選手自身がこの先どうなりたいのか、大学で本格的に野球がしたいのか。表情を見ながらその胸の内にある選手の思いをしっかりと聞き取る。
「ここで、どの選手がどのレベルの大学に行きたいかある程度把握して、冬場に大学の関係者のところに頭を下げに行きます。監督になった頃は進学先のパイプが全くなかったので、色んな大学に足を運んできましたが、選手らの思う進学先を決めるには速い段階から各大学を回っていかないといけないので。上のレベルで野球をやりたい生徒の出口をしっかり作ってあげないといけないですからね」。

明石商野球部は1953年に学校創立と共に創部され、現在まで60年以上の歴史がある。狭間監督は06年に明石商に赴任してコーチとして指導し、07年に監督に就任した。監督就任当時、明石商の野球部からは野球を続ける選手は関西圏の大学に進んでいたが、今ではその構図はすっかり変わった。
「能力の高い選手は基本的に関東の大学に行きます。関東には全国からレベルの高い選手が集まりますし、そういう意識の高い選手に出会うことが財産になる。その中で人間関係を築いていくことも大事です」(狭間監督)。

狭間監督の母校である日体大をはじめ、今では有望な選手が年々関東の大学に進学している。レベルの高さだけでなく、環境の変化も選手を変えてくれると思っているからだ。
「関東の大学に行くと、必然的に寮に入ることになる。でも関西の大学は寮よりも自宅通学の方が多い。そうすると、やはり自分に甘えが出てしまいます。その点、親元を離れて関東に行った子はそれなりの覚悟もあるし、絶対にやってやらないと、という気持ちは強くなりますよね」。

昨年、西武からドラフト1位指名された松本航(日体大)は、高校時代は実はプロ志望だった。だが、当時はそこまで名の広まっていなかった右腕に「兵庫県のベスト8で負けるようなピッチャーがプロで通用するかと(苦笑)。プロに行くなら評価されて行った方がいい」と狭間監督は進学を勧めた。社会人チームからもオファーはあったが、熟考の末、日体大へ。結果的に進学にしたことで、ハイレベルな環境に揉まれ、最高の評価を受けて念願のプロの世界に進むことになった。そんな先輩の姿を見て「自分もあんな風になりたい」と、後輩が後を追い、明石商からは毎年のように日体大の門をくぐっている。


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