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【明石商】僕らが明石商で狭間監督から学んだこと

2019.10.7

春夏ベスト4進出を果たした明石商。兵庫県勢としては実は83年ぶりの快挙で、令和の時代に新たな伝統を築きました。しかし、夏の甲子園を目指す道は平坦ではなかったそうです。今、振り返る“あの時”を中心に、明石商で学んだことをなどを語ってもらいました。


メンバーとメンバー外の間にできた溝


——春夏の甲子園でベスト4まで勝ち進みましたが、センバツ以降はチームがなかなかうまくいかない時期があったと聞きました。

重宮 センバツでベスト4になって、気持ちが緩んでしまって全員がバラバラの方向を向いてしまっていたし、センバツで達成感を得てしまっていました。
全国の舞台で結果を出すという今までにない経験をして、あちこちで(新聞等で)取り上げられたことで、最後の夏が終わったみたいな雰囲気になったんです。春の県大会で負けたのはそれが原因(県大会2回戦で須磨翔風に2−3)です。メンバー以外のヤツも“どうせ夏もコイツらがレギュラーなんやろ”っていう空気になっていて、メンバーとメンバー外の間に溝ができてしまっていたのもあります。まとめていく立場でもそこがやりにくかったです。

杉戸 新チームが始まった頃は全員がレギュラーを目指す、みたいな活気があったのに、あの頃はそれがなかったですね。自分でも、このメンバーだったら夏も勝てるやろうっていう余裕ができてしまっていました。

宮口 自分は調子自体が良くなったり悪くなったりでチームの雰囲気が分からなかったんですけれど、センバツで結果を残せなかった自分に悔しさがあって、背番号1に戻りたいとだけ思っていました。

安藤 センバツは打線が繋がっていましたし、守備もしっかりできていたんです。全体的に調子が良かったのもありますが、そこから全体の意識がガクンと落ちて調子もなかなか上がらなかったんです。

重宮 焦りもなくそれなりに普通に練習をしていたんですけれどね......。あそこで負けたことで気づけたことも多かったです。


——監督さんからは厳しいことを結構言われた?

重宮 そうですね。自分では気づかなかったんですけれど細かいことを言われて、周りからそう見られていたんだなと思いました。キャプテンとして自分が変えていかないといけないなと。

杉戸 春の近畿大会が終わった時期に監督さんから言われたのが、近畿大会で準優勝した神戸国際大付のことを挙げて「お前らは絶対に(神戸)国際に勝てない」って。それで自分たちの心に火がつきました。


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