高校時代から夢見ていたMLB行きを実現させた菊池雄星投手。その裏には、毎日1時間書き続けてきた「野球ノート」があった。ノートを書くことで何が変わったのか? 現役球児のみんなへシアトルからのメッセージ。
MLB・シアトル・マリナーズ
菊池雄星 夢をかなえた野球ノート
メジャーでもいい選手は習慣に支配されている
――シアトル・マリナーズに移籍して1年目のシーズン前半戦が終わりました。前半戦を振り返ってください。良いところと悪いところがはっきりした前半戦だったので、いいときを増やしていけば、今後、いいピッチングができる手応えを感じています。
――いいところと悪いところなどを整理するために、ノートに書いたりしているんですか。
毎日、書いています。今は10年日記とフィジカルノート、日々の生活で気づいたことやピッチングで気づいたことを書くノートの3種類にまとめています。
――そもそも日記(ノート)を書くようになったきっかけを教えて下さい。
花巻東の佐々木洋監督が成功者は共通点があり、日誌を書いていると聞きました。それなら、自分もやろうと思って始めました。
――最初の頃は、目的もわからずにやっていたと思いますが、書くことが楽しみに変わった瞬間はありますか。
3ヶ月経った頃くらいですかね。楽しみというか、書かなきゃ気持ち悪くて寝られないと習慣になりました。
――ノートを書く良さは、やはり、そうした習慣になることですか。
それしかないといっていいです。メジャーに来ても感じますが、いい選手は習慣に支配されているところがあります。勝っても負けても同じことをやる強さがあって、習慣の差で上達するかどうかが変わるのだと感じます。普段の生活や練習もそうですけど、決めたことを毎日やり抜くということがシンプルで上達する一番の方法なのではないでしょうか。
――最初は半強制かもしれないけど、習慣がついていって、レベルが上がっていく。
人ってやり始めてから3ヶ月で習慣になると言われています。だから、最初は努力です。やらなきゃいけないと頑張る。それが習慣になってしまえば、こっちの勝ち。やり始めたことが習慣になればストレスじゃなくなるので、やらない方が気持ち悪いと思うようになる。日誌が習慣になり、次は掃除を習慣にしようとか、次の段階へと進んでいく。そうやって自分の生活習慣のレベルが高くなっていくのだと思います。
――ノート(日記)をもし書いていなかったらと思うことはありますか。
僕は個人練習の習慣がつくより、日記の方が早かったんです。日記をずっとやっていて習慣の大事さを知りました。日記を覚えて以降は難易度が高いことをやれと言われても、簡単にできるようになりました。習慣の大切さを理解できたからかもしれないです。
――高校の部活は、大変だと思います。続かない人たちはそこで妥協してしまう。ノートを続けるコツはありますか。
野球教室などでもよく言うのですが、1日1本素振りをしようよ、と。なぜなら、1本だけ素振りをして終わる人っていないじゃないですか。バットを持っちゃえば、何本もやって100、200本振る。でも、その1本目が大事なんです。要するに、ノートも何ページも書こうとは決めなくいい。1行だけ書いて終わりでもいい。難易度は下げても、頻度は下げてはいけないと僕は思っているので、頻度は毎日、難易度を下げる方法が一番いいと思います。
――ノートに入れたほうがいい項目はありますか。
まずは目標です。目標は書けば書くほど、近づくものですから。しかも期限付きの目標が良いと思います。何月何日までにこれをする、と。あとは、感謝の気持ち。毎日1回、誰かに感謝する。裏方さんやサポートメンバー、監督、コーチ、親など。感謝する瞬間を1日1回は作って欲しいですね。
――最後に、夏の大会中の高校球児にメッセージをお願いします。
年齢を重ねれば重ねるほど、高校野球をもう1回やりたいという気持ちになります。どんな結果が出ても、もう一回やりたいと思うときが来るので、一度きりの高校野球を完全燃焼して欲しいです。
(取材・文=氏原英明)



もっと詳しく知りたい人は……

菊池雄星 Yusei Kikuchi
1991年、岩手県盛岡市生まれ。小学3年生のときに野球を始め、中学では盛岡東シニアでプレーし東北選抜の一員として全国制覇に貢献。花巻東高校に進学し、1年時から甲子園に出場。3年時には、センバツに出場してエースとして活躍、自己最速の152キロを出して準優勝。夏の甲子園でも準決勝まで進んだ。2009年ドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団。19年よりMLBのシアトル・マリナーズに入団。