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【昌平】野村ID野球の申し子が、創部初の甲子園出場を目指す(前編)

2019.4.18

2度目の監督就任で改めた指導スタイル



手慣れた様子でパソコンを扱い、選手たちとは肩を組んで会話をし、冗談を言い合う黒坂監督。しかし、今と違って昔は威厳を保とうと厳しく接していたという。指導スタイルが変わった理由はこうだ。

「実は監督に就任したのは2度目なのです。社会人野球引退後すぐ29歳で昌平(当時の高名は『東和大昌平』)の監督になりました。荒れていた部を立て直し、県大会ベスト8に進むなど結果を残したのですが、学校の運営方針が変わったこともあり、一度野球から離れました。その後、縁あって大学の先輩から紹介された不動産管理会社へ入社しました。それまで野球漬けの毎日だったので、ビジネス用語が飛び交うサラリーマンの現場はついていくのに必死でしたね。ビジネス参考書を漁り、パソコンの技能を習得する毎日でした。そして、ちょうどサラリーマン生活に慣れた頃に、息子の少年野球のコーチを務めることになったんです」。



幼い子どもたちに厳しい言葉をかけても委縮するだけで上達をする可能性は低い。だが、野球を楽しいと感じさえすればみるみるうちに上達していく。子どもたちの成長する姿を見て黒坂監督は「これが野球の原点」だと思ったという。
 
「私自身厳しい指導を受けた世代なので、指導者=厳しいという固定概念に縛られていたのかもしれません。それに30歳の頃はまだ選手たちに負けない体力がありました。だから余計に『なんでできないんだ!』と憤りを感じていました。でも、それは私のエゴを押しつけていただけです。選手と対話をし、彼らの要望を聞くことが上達のカギを握っていると少年野球の指導を経て私自身気づかされました」。

指導をする上で大事なモノに気づかされた時に2度目のオファーが舞い込んできた。学校の運営が再度変わり、軌道に乗り始め運動部にも力を入れるようになった。サッカー部を始め運動部が結果を残すようになった。「あとは野球部を残すだけ」。野球部の更なる強化には黒坂監督以上に適任者はいなかった。


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