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【進路特集】野球を続ける選択肢|日下広太監督(三本松)の場合

2018.8.29

“独立リーグ出身”という異色の肩書を持ち、監督として甲子園の土を踏んだ日下広太監督。独立リーグ時代に学んだ地域の人たちの大切さ、質の高い野球理論を高校野球の監督としてどう活かしているのか話を伺った。


こんな進路もある!
「独立リーグ➡高校野球部監督」

社会人野球選手になる夢が破れた先に見えた道

昨年、公立校ながら並みいる私学を倒し、甲子園ベスト8に進出した香川県の三本松高校。地元の盛り上がりは凄まじく、人口約3万人の東かがわ市からバス30台以上の応援団が駆けつけた。チームを率いたのは “日本の独立リーグ出身者として初の甲子園出場監督”となった日下広太氏だ。34歳という若さだが、その野球歴は他に類を見ないものだ。
「高校は地元の三本松に進みましたが、甲子園への夢は叶いませんでした。でも、そこで田中成明コーチと出会えたことが大きかったですね。社会人野球を経験した田中さんの卓越した技術指導、そして選手への細かい気遣いに惹かれました。僕もいつか田中さんのような指導者になりたいと強く思いましたね」。大学は地元を離れ、東都2部リーグの順天堂大学に進学。教員免許を取得し、在籍時にはリーグMVPを2度受賞した。だが、大学4年時に苦悩が待ち受けていた。
「田中さんのように、社会人野球に進みたかったのですが、教育実習や卒論に追われセレクションはほぼ終わっていました。受けても不採用が続き、諦めかけたときにBCリーグ発足の話を聞いたんです。『このまま香川に帰れない……』そう思い、トライアウトを受けようと決心しました」。

独立リーガーとなり元プロ指導者に出会う

トライアウトでは「何が何でも受かってみせる」という強い気持ちだったが、プレー以外の部分を高く評価されたという。
「僕は捕手なので、ブルペンに居るとき投手が投げやすいようホームベースの土を払っていたんです。そこを偶然見てくれた方がいました。僕からしたら身体に染みついたクセみたいなものでしたが『トライアウトでそういう行動ができる選手はいない』と言ってもらい、プレー以外の人間性というのを評価していただいたのは嬉しかったですね」。
トライアウトに合格し、石川ミリオンスターズに入団。しかし、独立リーグの月収は20万円前後。オフシーズンの給料はゼロだ。生活するには苦しいものがあったため、オフにはスーパーの倉庫でピッキングのアルバイトをして生計を立てた。それでも、レベルの高い野球ができる幸せ、プロを経験した指導者との出会いなど充実した日々を送った。
「監督の金森栄治(現・ロッテ一軍打撃コーチ)さんには技術の理論的な部分をみっちり教えてもらいました。目から鱗が落ちる内容ばかりで非常に勉強になりましたね」。
独立リーグ3年目に移籍した新潟アルビレックスBCでは2年目にキャプテンに任命。芦沢真矢監督(元・ヤクルト)のコミュニケーション能力には驚いたという。
「フレンドリーでノビノビと野球をやらせてくれる監督でしたね。『自分のプレーを客観的に見られるようにしなさい』と教わり、そこで徐々に金森さんから教わった理論が実践できるようになったんですよ。僕の中で金森さんと芦沢さんの指導が融合し、完成されていったんでしょうね」。


母校の監督に赴任
野球を通して活気を与える

独立リーグで得たものはなにも野球面だけに留まらない。リーグの憲章「地域と、地域の子どもたちのために」という教えは日下監督の胸に今でも響いている。
「独立リーグでは多くの人に支えられ、野球を続けられていると実感しました。試合中の声援だけではなく、お金がないと知れば温かい差し入れをくださる方もいました。高校野球も同じで、地域の方に支えられなければ成り立たないんですよね。昨年の応援には本当に勇気をもらいました。今後も野球を通し、少しでも地元の人に元気を与えていけたらいいなと私は思っています」。
過疎化が進む東かがわ市だが、歴史ある三本松の活躍を楽しみにしている人は多い。独立リーグを経たことで、技術指導をする際の引き出しだけではなく、支えてくれる人のありがたさを再確認した日下監督。これからも野球を通じ、地元に活気を与えてくれるに違いない。(取材・文=児島由亮 写真=宮脇慎太郎)

日下監督が歩んできた野球人生

【9歳】野球好きの祖父や友人の影響で、白鳥本町少年野球クラブに入部。当時からポジションは捕手。
【15歳】東かがわ市立白鳥中学野球部時代は中心選手として四国大会優勝。全中ベスト8の成績を収める。
【17歳】地元の三本松に進学。尊敬する指導者と出会う。最高成績は3年春・夏の香川県大会ベスト4。
 ★ターニングポイント1:指導者の道を目指すきっかけ
漠然と先生になりたいと思っていた気持ちを強いものに変えたのが田中成明コーチ(三本松→早稲田→プリンスホテル)との出会い。外部コーチだった田中氏はその後、三本松を離れ、現在は城西国際大でコーチを務めている。「二人三脚で三本松を強くするという夢は破れましたが、指導者としての道を示してくれた恩人です」。


【19歳】教職免許取得を考え、当時東都2部だった順天堂大学に進学。3部時代にはリーグMVPを2度受賞。
【22歳】発足1年目のBCリーグトライアウトを受け、石川ミリオンスターズに入団。
 ★ターニングポイント2:野球理論を教えてくれた恩人
石川ミリオンスターズ初代監督・金森栄治氏に野球理論を徹底的に学ぶ。プロ球団をコーチとして何チームも渡り歩いた独自の打撃論は今まで聞いたこともないほど高度なものだった。さらに、プロの世界を知っているからこそ、勝負への執着心は人一倍強く、野球の奥深さを痛感させられた。

【24歳】新潟アルビレックスBCに移籍し、打撃開花。打率3割を越え、キャプテンとしてチームを牽引。
 ★ターニングポイント3:自信を深めた2年間
新潟アルビレックスBCに移籍し、芦沢真矢氏(現・啓明学園野球部監督)の選手の気持ちを乗せるフレンドリーな接し方に驚く。ノビノビした雰囲気のなか、チームは前期優勝を果たし、日下監督自身も打率3割到達。自信を深めることができたため、選手引退を決意。地元に帰り、指導者を目指す。

【26歳】地元に戻り、教員採用試験合格を目指す。白鳥ジュニアファイターズ(少年野球)のコーチを兼任。
【現在】母校に赴任。2015年8月から監督を務める。17年は24年ぶりとなる甲子園出場を決める。

プロフィール

日下 広太 Kota Kusaka
1984年4月17日生まれ。香川県東かがわ市出身。三本松では捕手として活躍するも甲子園には出場できず。卒業後、順天堂大学でプレーした後、独立リーグの石川ミリオンスターズ、新潟アルビレックスBCを渡り歩いた。全てのチームでキャプテンを経験。2015年から母校の監督を務め、17年夏は独立リーグ出身者として初の甲子園出場監督となる。

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