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【進路特集】野球を続ける選択肢|東京ヤクルト中尾輝投手の場合

2018.8.28

大学時代は2部リーグ所属にも関わらず、2016年ドラフトで東京ヤクルトスワローズに4位指名を受けた中尾輝投手。
現在はチームの勝利の方程式の一端を担い、投手陣を牽引している。
そんな中尾投手に学生時代を振り返ってもらい、どのようにしてプロの舞台に辿り着いたのか話を聞いた。


こんな進路もある!
「大学2部リーグ➡プロ野球選手」

中・高と目立った活躍はナシ、大学の選択肢もわずか2校

中尾投手が野球を始めたのは小学4年生のとき。通っていた学校の軟式野球部に入部し、野球人生がスタートした。その後、中学ではボーイズリーグに所属するも、特別目立つような選手ではなかった。
「ボーイズに入りましたが、実力もなくいわゆる2番手投手でした。それでも高校球児になったら“憧れの甲子園”に行きたいと思いましたし、地元愛知なら強豪享栄高校に行きたいと考えていました。でも、ボーイズの監督から『お前の実力では享栄は難しい』と言われ、杜若高校に進学しました」。

プロ野球選手を多く輩出する杜若高校に進むが、在籍時は県大会ベスト16が最高成績。目立った結果を残すことはできなかったため、大学進学の選択肢は多くなかったという。そのなかで進学先に決めたのは実績のない2部リーグの名古屋経済大学だった。
「高校では一応エースでしたが、決して周りから注目されるような選手ではありませんでした。大学で野球をするなら『特待生』というのが一つの条件だったので選択肢はたったの2校。野球部の先輩が行っていた縁もあり名古屋経済大学に決めました。大学は高校時代に比べると練習時間が少なく、内容もとにかく自由が多かったですね。下級生の頃は全体練習が16時半から始まり、18時には終わっていました。雨の日なんて集合はしますが、練習はせず解散ということもあるくらいでした(笑)」。

元・プロ指導者の下で進化、スカウトの目にも留まる活躍

プロ野球選手を輩出する名門大学とはまったく違う環境だったが、幸運なことに指導者に関しては恵まれていた部分があった。さらに野球王国愛知ということもあり、2部リーグでもレベルの高い選手が多く所属し、競争意識は自然と芽生え始めたという。
「平林二郎監督、加藤英夫コーチという元プロ経験者が2人もいて、選手よりも指導者の方が豪華だったんですよ。特にピッチングは加藤コーチに入念に教えてもらい、飛躍的に伸びましたね。また、同じリーグに所属していた二つ上の七原優介さん(名古屋大学→トヨタ自動車)はすごい投手で、プロのスカウトの人もよく試合を見に来ていました。あとから聞いた話ですが、七原さん目当てのスカウトが、僕のピッチングを見て、それ以降目をつけてもらえるようになったみたいです」。

注目され始めるようになった中尾投手の成長を、一段と加速させる出来事が一つある。
「大学2年の秋にボコボコに打たれた試合があったんです。その負けがとにかく悔しくて、『絶対やり返してやろう!』と強く思いましたね。このシーズンはリーグ戦でも最下位で、チーム全体にも危機感が芽生え、練習を抜本的に厳しいものに変えたんです。徐々に力がつき始め、4年生の頃は最速151キロが出て、スカウトの数も一気に増えました。プロに行けるかもと思うようになってからは、チームの練習以外にも個人でジムに通うようになり、身体を大きくするよう努力しましたね」。

環境を言い訳にしてはいけない、諦めなければ必ず伸びる!

憧れのプロ野球選手になり、順調に活躍している中尾投手。2年目ながら一軍での地位を確立し、チームに欠かせない存在となった。大学野球の二部リーグというけっして華やかな舞台とは言えない環境を経験したからこそ、高校球児に伝えたいことがあるという。
「僕自身がそうであったように、高校で伸びなくても大学で伸びる可能性は誰にでもあると思います。どんな状況、環境でもその気になって、真剣に野球に取り組めるかどうかがカギなんですよ。僕みたいに実績の無かった選手でもプロの世界に入ることができたんです。例え高校野球で結果を残せなかったとしても、その先の舞台で必死にプレーをする選手が一人でも増えて欲しいですね」。(取材・文=西尾典文  写真=廣瀬久哉)

中尾選手が歩んできた野球人生

【9歳】名古屋市立春日野小学校で軟式野球部に入部。当時からポジションは投手。
【12歳】友達の影響で愛知津島ボーイズに入団。努力するも、当時は2番手投手止まり
【15歳】杜若高校に進学。高校3年夏は甲子園に行けず、愛知大会ベスト16が最高成績。
 ★ターニングポイント1:高校時代の寮生活
それまで全く経験のなかった寮生活を体験。野球以外の人間的な成長に大きく繋がった。「入学する直前まで野球部は寮生活というルールを知らなかったんですよ(笑)。自分の身の回りのことは全部自分でやらないといけないし、下級生は先輩の洗濯もしないといけない。野球よりも、人間的に鍛えられた高校時代でしたね」。

【18歳】名古屋経済大学に進学。元・プロの指導者と出会い、能力が飛躍的に向上。
 ★ターニングポイント2:大学で素晴らしい指導者と出会う
元プロ野球選手である平林次郎監督(中京高校時代は甲子園春夏連覇を経験。後に阪急で活躍)と、加藤英夫コーチ(平林監督とともに甲子園春夏連覇の立役者。後に近鉄で活躍)との出会い。厳しいプロの世界を経験した指導者から、技術的な指導を受けたことが成長のきっかけになった。

【19歳】リーグ戦で好投し、徐々に周りから注目される存在になる。
【20歳】リーグ戦で惨敗。その悔しさをバネに変え。練習に対する取り組みが変わる。
【21歳】最速が150キロを超えるようになり、プロのスカウトでも注目の的に。
 ★ターニングポイント3:2部リーグ戦での大敗で心機一転
2年秋のリーグ戦でチームは大敗。自身もチームもその悔しさを晴らすべく、練習に取り組む姿勢を変え、さらなる成長に繋げた「それまでは18時半には終わっていた練習時間を延ばし、長いときには21時まで練習をするようになりました」。その後プロのスカウトからも“2部リーグの逸材”として注目されるようになる。

【22歳】2016年ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから4位指名。念願のプロ野球選手に。
【現在】シーズン序盤から活躍を続け、リリーフの勝利の方程式となる。今ではチームに欠かせない存在。

プロフィール

中尾 輝 Hikaru Nakao
1994年9月14日生まれ、愛知県名古屋市出身。身長180cm、体重83kg。左投げ左打ち。小学4年から野球を始め、高校は地元愛知の杜若に進学。大学は愛知大学野球リーグ2部の名古屋経済大学。2年春から先発投手を任され、2部の逸材として評価される。4年時にはヤクルトからドラフト4位指名受け、2017年6月8日のソフトバンク戦で一軍初登板。18年4月8日の巨人戦でプロ初勝利。現在は貴重な左腕リリーフとして活躍中。

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