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【東筑】「野球のために勉強を頑張る」文武両道校の練習とは?(前篇)

2017.12.13

短い練習時間で、心技体を磨く。自分たちの頭で考えて課題を克服し、勉強も手を抜かない。そして「甲子園」をつかみとる。今夏、21年ぶりの甲子園出場を果たし、来春のセンバツ出場も濃厚とされている福岡県立東筑高校の選手たちは高い野望を持っている。選手たちの口から「野球のために勉強を頑張る」と言う言葉が自然と出るチームでもある。時間ではない、環境でもない。質にこだわる東筑の、短時間練習を取材した。(取材日/11月28日)


来年度創立120周年を迎える東筑は、毎年約200人の国公立大学合格者を出す県内屈指の進学校だ。文武両道、質実剛健を校是とし、甲子園出場は春2回、夏6回を誇る。秋の福岡大会で優勝し、九州大会でベスト4入り。来春のセンバツ出場が濃厚とされている。2季連続出場となれば、同校初の快挙となる。

JR折尾駅から徒歩8分ほどの場所にある東筑。2018年に創立120周年を迎える県内屈指の伝統校だ

チームの大黒柱は夏の甲子園でも登板したエースの石田旭昇(あきのり、2年)だ。今夏の福岡大会では全7試合を投げぬきチームを聖地へと導いた。同校過去5回の夏甲子園出場のうち、3回が石田姓だったことから「石田伝説」と報道され話題にもなった。公立校の中には、公式戦で甲子園経験のある私学に飲みこまれ、自分を出せずに敗れるケースがあるが、東筑にはそれがない。夏は決勝の福岡大大濠戦を含む「私学4連破」を見せつけ、秋の九州大会でも興南、神村学園を破ってベスト4に勝ち上がっている。九州の公立の雄。そんな言葉があてはまる。

東筑OBで、筑波大でもプレーした青野浩彦監督(57)は「私学が相手の方が思い切ったことができる。相手は『勝たなくてはいけない』というプレッシャーがあり、戦いにくいと思います」と話す。公式戦中、選手の間から聞こえてきたのは「楽しくやろうぜ!」「気楽に行こうぜ!」という声の掛け合い。秋の県準決勝、小倉戦は、伝統校同士の熱戦で延長11回までもつれたが、ここでも冷静かつ活気ある声掛けが交わされ、サヨナラランニングホームランで勝ちを呼び込んだ。

「九国の若生さん、秀岳館の鍛冶舎さん。私学優勢の時期がありましたが、公立にチャンスが回って来る時が来ると思いますよ」と展望する青野監督

「『気楽にやろうぜ』という言葉は、たぶん、うちみたいな公立だから言えるのです」と青野監督は言う。「勉強優先」の校風で、通常練習は15時45分から。週2日は7限まで授業があるため、部員全員がそろうのは16時過ぎになる。完全下校は20時。グラウンド整備の時間を入れると、毎日3時間半ほどしか練習ができない。しかもグラウンドは、ラグビー部、サッカー部、陸上部と共用で、全面が使えるのは月、水、金の週3日。取材日は火曜日だったので、部員43人が内野のみのスペースで投内連係を行っていた。

この日は外野が使えない火曜日ということで、投内連係などの守備練習にウエート置いた

ノック中にサッカーボールが飛んでくることもあるが、選手たちは気にせず練習を続ける。他の部といたわり合う「共存共栄」の光景がそこにある。

グラウンドはラグビー部、サッカー部と共用。練習中にボールが飛んできても、ご愛嬌

野球に偏りすぎる高校生活はよくない。そんな思想がチームに流れている。目標はあくまでも甲子園。…であるが、青野監督の考えは柔軟だ。この夏の甲子園大会中、公式の練習時間が2時間しかないとわかると、選手たちに受験勉強を提案した。「ヒマな時間がもったいないでしょう。じゃあ、勉強しようか、と」。ただ、初戦敗戦を味わい、選手の中から「もっと練習したかった」という声があがったため、次に甲子園に出る時はなにか対策をしなければと構想している。甲子園出場を経験し、より高まった選手たちの向上心。冬の取り組みにも、明確な意図が表れ、青野監督が何もいわなくても選手主動の流れが出ている。このあたりに、他の公立校が真似できるヒントが隠されているのかもしれない。

(取材・撮影:樫本ゆき)

後篇につづきます

東筑高校

1898年(明治31)創立、1900年(明33)創部。文武両道、質実剛健が校是。部員数2年=25人、1年=18人。女子マネージャー=5人。山本哲也部長(52)、青野浩彦監督(57)。甲子園出場は春2回、夏6回。全日制普通科(共学)。スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定校。主なOB=仰木彬(元オリックス監督)、高倉健(俳優)、福山龍太郎(元ダイエー)、大村孟(ヤクルト育成)ほか。所在地=北九州市八幡西区東筑1-1-1

青野浩彦(あおの・ひろひこ)

1960年(昭35)6月29日生まれ。福岡県北九州市出身。東筑―筑波大。高3夏に主将、捕手として甲子園出場。大学卒業後、保健体育教諭として北九州監督に就任。94年4月に母校で副部長、監督として16年指導。96年夏、98年センバツ出場。鞍手を経て16年から再び東筑の監督に就任した。

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