春6回、夏15回の甲子園出場を誇る佐賀商。計21回という数字は、2位の唐津商(春2、夏5)、3位の龍谷(春1、夏3)を大きく上回るダントツの出場回数だ。1994年、第76回選手権では2年生エース・峯謙介投手を擁して初優勝を飾っており、佐賀県ではナンバーワンの伝統校として周知されている。私学優勢の機運が広がる中で、公立校としての工夫を行い、新しいアイディアを取り入れる森田剛史監督(46)に話を聞いた。
94年に全国制覇。語り継がれる佐賀商の伝統
JR佐賀駅から10分ほど歩くと、佐賀商の校舎が見えてくる。校門をくぐり、右手を見ると「優勝」と刻まれた石碑が目に入ってくる。弟76回全国高等学校野球選手権大会優勝の時に建てられた石碑だ。23年前、劇的な9回満塁本塁打で優勝した“先輩”の記憶は選手たちにはないが「OBの方から話を聞きます」、「YouTubeで見ました」と、伝説は今も語り継がれている。「父親が当時の部員だった選手もいますよ」とOBでもある森田監督が教えてくれた。
自身も3度の甲子園出場経験のある森田監督は、佐賀商から亜細亜大、日本石油(現・JX-ENEOS)で内野手(主に二塁手)として活躍した。大学時代に3度のベストナインを獲得。3年秋に日大・門奈哲寛投手からサイクル安打を記録するなど、打撃部門でも好成績を刻んだが、高校野球の指導でこだわっているのは「守備」だと言う。
守備――。森田監督は、捕る、投げる、という動作の中で最も大切なことを「調整力」と表現する。「動いてボールを捕る。周りの動きをよく洞察して、相手に投げる。この一連の動きのことを『調整力』と言います。試合では、ノックで受けるような球が来るとは限らない。いかに大勢が悪い中で捕球、送球ができるか。その『調整』が大事なんです」と話した。
野球選手はマット運動が苦手?
ではどうしたら「調整力」が身につくのか?1日練習を見せてもらった。8時半から昼までの約4時間はサーキットトレーニングを行っていた。特徴的だったのは、2人1組、3人1組になって行う自体重を使った運動だ。手押し車や、馬跳び、お姫様だっこで短距離を走るなど、「人」を使ってのトレーニングが多い。メニューは整形外科病院に勤務する理学療法士が作成している。
「柔道部の先生から言われたんですよ。『野球部の生徒は、野球の技術はあるけど、でんぐり返しなどのマット運動や鉄棒など、体育の動きが苦手な選手が多いね』と。確かにそう思いました。打つ、投げる、練習にとらわれていて、手足を動かす運動神経が育っていない。スキップができない選手もいますからね」と笑った。
ペアになって行うトレーニングは、相手の体の動きによって「想定外」のことが起こる。その「想定外」が「調整力」につながると言う。ウエートマシンのトレーニングでは得られないメリットにつながることが狙いだ。
「テーマは『動きづくり』ですね。種目を増やして、遊びの感覚を持って動きながら身に着けて欲しい。『調整力』は打撃にも必ず繋がりますから」と続けた。
調整力を養うトレーニング
▼外野手がボールを追う時の切り返し練習
▼ラダーを使ってのサーキット練習
▼馬跳び(2人1組)
▼壁押しシーソー(60度)
▼お姫様抱っこダッシュ
(取材・撮影・文/樫本ゆき)
「佐賀商業」関連記事
-
【佐賀商業】木村キャプテン「プロ野球選手になれますように」 2017.10.19
選手 -
【佐賀商業】工夫とアイデアにあふれた練習、トレーニング(後篇) 2017.10.18
学校・チーム -
【佐賀商業】工夫とアイデアにあふれた練習、トレーニング(前篇)2017.10.17
学校・チーム
◆佐賀商野球部
1921年(大正10)創部。甲子園出場21回(春6、夏15)。部員数=2年26人、1年15人。女子マネージャー=0人。平野諒部長(28)、森田剛史監督(46)、、廣瀬龍之介副部長(26)。スローガン=創考主(そうこうしゅ)。主なOB=新谷博(元西武)、於保浩己(元ロッテ)、兵動秀治(元広島)、田中豊喜(日本ハム)ほか。所在地=佐賀県佐賀市神野東4―12―40
◆監督PROFILE
森田剛史(もりた・たけし)
1971年(昭46)8月19日生まれ。佐賀県佐賀市出身。佐賀商で高2夏、高3春夏に甲子園出場。亜細亜大でベストナイン3度受賞(二塁手)。1年春に大学選手権優勝、3年秋にサイクル安打を記録。日本石油(現・JX-ENEOS)ではスポニチ大会、都市対抗で優勝。在籍5年で3度の都市対抗に出場する。27歳で引退し母校で6年間部長を務め08年に監督就任。10年春に神崎清明の監督に就任。創部初の秋準優勝を果たし13年にふたたび佐賀商監督に就任。家族構成は妻、1女1男。商業科教諭。B型。