〜第41回〜
北海道ガンナーズはシーズンをかろうじての三位で終えたが、そこからの旅路は洋々たるものであった。クライマックスシリーズのファーストステージで神戸バイキングスを二連勝で退け、ファイナルステージでは一敗のビハインドスタートをものともせず、今季パ・リーグを制した福岡シーホークスを四勝三敗で沈めた。
原動力は言わずもがな。安定感を取り戻した世良のピッチングと、打者専任となった火野の打棒である。
嬉しい誤算もあった。レギュラーシーズンは大型扇風機と化し、軽度の腰痛とホームシックを理由に一時帰国していたアルバート・オルティスは、大一番のポストシーズンの舞台でメジャーリーグ時代の打ち方を思い出したかのように幾度も美しい放物線を描いた。
極め付けは、今季での勇退を表明している大ベテラン稲嶺の活躍である。
ファイナルステージ三勝三敗で迎えた最終戦、八回表の土壇場で飛び出した代打逆転ツーランは今後の語り草となるだろう。引退間際にして刀の切れ味は未だ健在。あまりに出来過ぎた筋書きは、二十年間全力で戦った稲嶺へのご褒美に神様が引退に相応しい花道を用意してくれたかのようであった。
神仏の力が宿るシーズンというのは確かに存在する。少なくとも私はそう思っている。
基本的に無神論者ではあるが、七年前の夏に目にした母校緋ノ宮学園の甲子園での優勝はまさしく神の御業であり、今季のガンナーズの躍進もプロとアマの違いはあれど状況的には酷似している。
下馬評が低く、世間の誰もが優勝などとは片時も想像していないという類似点がある上、どちらのチームにも中心には世良正志がいることも奇妙な符号だ。いや、神仏の恩寵を呼び寄せているのは、高校時代「持っている男」と称された世良正志の無形の力なのかもしれない。少々穿ちすぎな意見であるだろうか。
リーグ優勝を果たしながら日本シリーズへの挑戦権を逃した福岡シーホークスのメンバーおよびファンの胸中は複雑であろうが、稲嶺の活躍をカーテンコールで讃えた姿に勝敗を超えた美しさを覚えた。
はてさて、日本シリーズではどのような奇跡が現出するであろうか。
北の地に降り立ち十二年。雨の日も風の日も雪の日も、チームのために骨身を削ってきた偉大なる功労者である稲嶺には、ぜひとも有終の美を飾って欲しいものである。
これはガンナーズのファンならずとも共通する願いであろうと思いたい。
約束の地まであと一つ。
山口俊司は始業三十分前のひと気もまばらな職員室でお目当ての三島の連載コラムを読み終えると、隣の小峰先生の机の上に置いた。
約束の地まであと一つ、か。正確にはあと三つだよ、三島。
山口俊司は、職員室のデスクの引き出しに仕舞ったままの日本シリーズ第五戦のチケットに思いを馳せていた。ガンナーズは今季の勝ち頭黒川でシリーズ初戦を落としたが、二戦目は世良で勝ち星を戻した。セ・リーグの覇者東京セインツの本拠地に乗り込んで一勝一敗のタイであれば御の字であろうと思う。
七試合制で都合四勝、つまりあと三つ先勝した方が今季の日本一チームとなる。第三戦から第五戦まではガンナーズの主催となるため、本拠地での三連戦で勝ち越せれば日本一がぐっと近付くことは言うまでもないだろう。三連勝ならば、その瞬間日本一決定だ。
世良は第二戦終了後、栗原監督から第五戦での先発を言い渡されたらしい。
リリーフ登板でもしない限り、勝っても負けても世良個人としては今季最終登板となる公算が高い試合だ。世良は火野事件の捜索を引き受けてもらったせめてもの御礼にと、第五戦のチケットを送って寄越してきた。「平日だし、北海道まで観に来るのは難しいかもしれないけど」という律儀な言添えと共に、チケットが五枚も同封されていた。
座席の位置を図書館のネットで確認したが、バックネット裏の相当に良い席であった。
これは授業をサボってでも北海道まで観戦に行かねばなるまい。
とはいうものの、余った四枚のチケットを誰に譲ればよいかが思案どころである。
そもそも、なぜ五枚もチケットが同封されてきたのか、少々理解に苦しむ。
試合終了時刻はどう早めに見積もっても二十一時台、千歳空港発の最終便が二十一時半であることを考えると、翌日の朝帰りとなることはほぼ確定的だ。朝一番の便に飛び乗ったとして、翌日の始業時間に間に合うかも結構に怪しい。
この条件だけで恐妻家の小峰先生は残念ながらアウトだろう。始業に間に合わなければ半休を申請するという最終手段もあるが、問題は泊まりという点だ。北海道といえばススキノ、即ち歓楽街と想像させる時点で嫁である志乃さんの許可は下りまい。
誰を誘うべきかを考えていて、はたと気付いてしまった。
火野を〈作られた子供〉だと中傷した人物を炙り出すのに協力した御礼として贈られてきたチケット五枚。
それはつまり、あいつらを観戦に誘えということであるのだろうか。
俺も含めれば、たしかにちょうど五人だしな。そういうことか。
世良よ、いくらなんでも律儀すぎるぞ、その手回しの良さは。
(著者:神原月人)