〜第24回〜
「世良よお、お前さん白鳥相手だと投げづらいんだろ。あいつ守備ザルだしな」
室内練習場へと向かう廊下で笠松がのんびりとした口調で際どい話題を口にした。白鳥謙作はガンナーズの正捕手で、昨年は打点王に輝いている押しも押されぬスター選手である。
「いえ、特にそんなことは」
世良が分かりやすく言い淀んだ。火野周平は黙って、世良と笠松の一歩後に続いた。
「配球に確固たる裏付けがある訳でもないくせに、俺の配球通りに投げろっていうタイプだからな白鳥は。正直、世良みたいな軟投派は投げづらいだろ」
ひと気のない廊下に、スパイクの音が響く。
「いえ、自分が白鳥さんの要求通りに投げられないだけなんで」
答えづらい質問だったのか、世良の返答はやけに小さな声だった。
「本音を言えよ。窮屈なんだろ、本当は」
「……ええ、若干」
世良が項垂れながらそう口にした。
「もっと気持ちよく投げられたら今よりマシになると思うんだよな。監督もそう考えてる」
笠松の言葉に引っ掛かりを感じたのか、世良は納得のいかないような顔をしている。
「あの、自分は監督にオフには戦力外だと言われたんですけど……」
世良の呟きに笠松が苦笑した。
「おいおい、世良ちゃん。どっかの金満球団じゃねえんだ。うちのチームに過剰戦力みたいな贅沢がないのは知ってるだろう。育成選手ゼロ。選手登録枠七十人ぎりぎりでやってんだ。シーズン前にローテーション入りを計算していたピッチャーを、わざわざ二軍で腐らせとく余裕はねえよ」
「いえ、でも監督は無期限二軍だと……」
世良はうじうじと同じ内容を繰り返した。笠松がさも面倒そうな顔をする。笠松が世良に膝蹴りを喰らわせた。
「そんなもん、期待の裏返しだと思っとけ」
世良が腰を押さえて、笠松をじとりと睨んだ。
「痛いっすよ、先輩」
笠松は世良の言葉を黙殺する。
「ところで世良。高校時代は配球とかどうしてたんだ。お前がリードしてたのか?」
笠松の問いかけに世良は腰のあたりをさすりながら答えた。
「ヤマが、……いえ、バッテリーを組んでいた山口が投げたいボールを察してくれていました」
「ふん、なるほどね。ピッチングについては特に何も考えてこなかったってことだな」
笠松が冷やかにそう言った。世良は少しむっとしたような顔つきになった。
「なあ、世良。俺たちは何をすることによって給料を得ているんだ」
笠松は急に足を止めた。世良も慌てて立ち止まる。
「野球をすること、……でしょうか」
笠松がわざとらしい溜め息をつく。
「違えよ、バカ。試合に勝つことだろうが。投手なら目の前の打者を打ち取ることだ」
「……打者を打ち取ること」
世良が笠松の言葉を復唱する。
「ああ、そうだ。投手の目的は160㎞の速球を投げることでも、鋭い変化球を投げることでもねえ。それはあくまで打者を打ち取るための手段だ。目的を履き違えちゃいけねえ」
笠松が火野の背中をぽんぽんと叩いた。
「ま、こいつみたいに160㎞をほいほい投げられりゃ、それに越したことねえけどな」
「もう投げられないですけどね」
火野が寂しそうに笑った。笠松は泣き言を吐いた火野にも蹴りを喰らわせようとしたが、高身長のどこを蹴るべきか迷ったのか、咄嗟に蹴りを中断した。
「手持ちの武器が貧弱で、たとえナマクラ刀だったとしても、目の前のバッターを斬れればそれでいい。そうは思えねえか?」
笠松が持論を展開した。話の長い笠松の語りはベンチ裏では煙たがられていたが、この時の世良と火野は神妙な顔つきで笠松の次の言葉を待っていた。
「それができる人間がエースと呼ばれる」
火野周平の耳が「エース」という単語にぴくりと反応した。
「世良、高校時代のお前はたしかにエースだったよ。でも、今は違う。だとしたら何を変えればいい?」
世良は何かを考えているのか、硬直したかのように押し黙ったままだ。
「思考は時に才能を超える」
笠松がぽつりと言った。
「俺はエースの資質を持ちながら、プロの舞台から消えていった投手をごまんと見てきた。思うように才能を発揮できないやつ。大怪我を負ったやつ。まあ理由は様々だけどな」
笠松はそう言って、世良の胸を手の甲で軽く小突いた。
「手持ちの武器のスペックの差を今更嘆いたってしょうがねえ。そりゃあ戦争に臨むのに片やロケットランチャーでもう一方が竹槍だったら、普通なら火力の差で勝負が決まるわな。だが、ゲリラ戦であれば話は違う」
笠松の話はいつの間にかピッチング論から戦争論にすり替わっていた。
「竹槍をロケットランチャーに見せかけるのはどだい無理な話だ。だが、竹槍で相手を制圧するにはどうすればいいか。真に考えるべきはそこだ」
笠松の戦争講座は、途切れることなく続いた。
(著者:神原月人)
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