企画

連載野球小説 『天才の証明』 #20

2016.8.3


〜第20回〜

 中学校からの帰宅後、山口は今年の四月に奮発して新調した鞄をリビングに放り投げた。手洗いもそこそこに、世良正志の依頼である探偵稼業に就く人物を探そうと、ひとまず押入れを漁ってみることにした。

 冬物の洋服や大学時代の座学のテキスト、今はもう収集しなくなって久しいベースボール・マガジン社発行の週刊ベースボールの束、埃をかぶった甲子園優勝時の記念トロフィーに紛れて、過去に受けとった名刺を時系列ごとにスクラップしたバインダーが出てきた。

 バインダーの埃をはたき、ぱらぱらとめくる。大半の名前は思い出せなかったが、懐かしく思い返す名前もあった。名刺のスクラップを始めたのは、甲子園で優勝した2009年の夏の終わりからだ。世良正志のついでの扱いではあったが、各球団のスカウトから名刺を貰った。その中の一枚に目が留った。

 北海道ガンナーズ、立花洋一。

 七年前の当時の役職はスカウト統括部長とあった。大学を卒業する年にも立花氏から再度名刺を受け取ったらしく、今から三年前の2013年にも名刺が残されていた。連絡先は変わっていなかったが、役職がスカウト統括部長から副社長に変わっていた。BOSを導入した功績による昇進だと後から聞いた。

「ガンナーズは君を指名するつもりはない」

 無情にもそう告げられた日のことは、今でも時折夢に見る。世良を一位指名するとの挨拶に来た立花副社長は、同席した山口にも球団の指名方針を懇切丁寧に伝えた。結論から言えば、「ガンナーズは世良君を一位指名する方針であるが、山口君、君を指名するつもりはない」ということだった。

 ガンナーズには白鳥謙作という強打の看板捕手が在籍しており、その白鳥からスタメンの座を奪わない限り一軍での出場は難しい。二軍には守備型の捕手が多く、現時点でのチーム構成から考えるとドラフトで捕手を指名する必然性は乏しい。仮に指名するにしても、白鳥謙作が流出した際に備えての「打てる捕手」を指名する腹積もりだ。

 立花副社長はガンナーズのチーム状況を事細かに説明した上で、「もし世良君をガンナーズが獲得した場合でも、君を指名する意志はない。世良君と君をセットで獲得したいと目論む球団もあると聞いてはいるが、残念ながらうちにその意思はない。だから、ガンナーズが世良君を指名することは、君からすればプロへの道が狭きものになることを意味する。その点については、どうか了承願いたい」と告げた。

 理路整然とした、淀みない口調だった。非情な宣告ではあったが、配慮の行き届いた説明でもあったと思う。皮肉にも、現実は立花副社長の説明通りとなった。世良正志は四球団競合の末、交渉権を獲得した北海道ガンナーズに入団した。

 立花副社長の事前の説明通り、ガンナーズが山口を指名することはなかった。世良一位指名の抽選に外れた千葉ドルフィンズ、福岡シーホークス、神宮パンサーズのいずれかに世良が入団していたとしたら、世良専用の捕手として山口も下位で指名されていた可能性は僅かながらに残されていたかもしれない。

 だが、世良を引き当てたのがガンナーズであった以上、世良とのセット指名という目は無くなった。あとは純粋に山口俊司を欲しがる球団が現れるか否か、という訳だ。

立花洋一。

 この名刺を見ると、叶わなかった片思いのような甘酸っぱい気分が蘇る。片思いが円満に成就していれば、今頃母校の中学校の教師になどなってはいるまい。

「試合に使わない可能性の高い選手は、そもそも獲得しない」

 BOSの思想は予算枠ギリギリで闘う地方球団には画期的な発明であったのだろうが、その導入があと何年か後ろにずれ込んでさえいれば、自分もガンナーズに指名されていたかもしれない。そんなことばかりを考えて、感傷的な気分に陥ったこともあった。

 もう今後この名刺が役に立つ日は訪れることもないのに、何かのために大事に保存してあるなんて、我ながら女々しいばかりだ。実際、三年前に立花副社長の名刺を受け取って以来、新しい名刺がストックされた形跡はほとんどなかった。学校教師の大半は名刺を持っていないので、新たに追加された名刺はわずかに二枚。一枚は緋ノ宮学園の事務室の連絡先を記したもの。赴任時に教師手帳が配られるので不要の長物である。

 もう一枚の名刺を眺めると、そこには黒塗りの背景に白抜きの字で「ファイアスターター社・葛原正人」と書いてあった。いつぞやの飲み会での会話を思い返す。そういえば、葛原は炎上対策がどうのこうのとかいう、なんだかよく分からない仕事を請け負っていると聞いた記憶がある。さすがに探偵稼業などは受けてはいないだろうが、蛇の道は蛇だ。その道の知り合いがいる可能性は高い。

 これも何かの縁である。山口は名刺に記された代表番号に掛けてみることにした。

(著者:神原月人)


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