学校・チーム

レジェンド山本昌を語る第二弾 前橋育英高校・荒井直樹監督 〜後編〜

2016.4.28


 著書 『ピッチングマニア』にて、自身の投球術を詳細に紹介している山本昌氏。
 タイムリー編集部では本人の素顔を知る、関係者二人にインタビューを敢行。二人目は日大藤沢高校時代の先輩であり、現在は前橋育英高校野球部を指揮する荒井直樹監督に話を聞いた。
 
 前編はこちら

 マサと私は良きライバルであり仲間

 (前編で話題に上がった)ランニングは、今でも好きで毎日続けています。走ると頭の中が整理されて、すっきりする。それに運動しないで、お腹が出てくるのもイヤですから(笑)。
 高3の春も「さぼりたいな」とか「いやだな」という気持ちはなかったです。たぶん、マサも同じだったと思います。自分で決めたことだから、最後までやる。毎日続けていくと、「やらないと気持ち悪い」という心境にまでなってくるものです。
 
 私にとって、マサはライバルでもあり仲間。性格がよく似ていました。私もしつこいけど、彼もしつこいんですよ。同じことをずっと続けられるタイプ。これと決めたことは、妥協せずに継続できるしつこさを持っていました。
 
 私は社会人に進んでからは、会社に出社する前に、毎朝350本の素振りをするように決めていました。通常の重さのバット、ノックバット、マスコットバットなど、自分で決めたメニューを必ず行う。歯磨きのようなもので、日課になっていました。
 
 誰かと比べてどうではなくて、自分で決めたことをいかにやり続けることができるか。これが大事だと思うんです。マサと一緒に走っているときには、高校生なのでそこまで理屈っぽく考えてはいませんでしたけど。
 
 指導者となった今、選手にいつも言っているのは、「昨日の自分を超えろ!」です。比較の対象は周りではなくて自分。同じ本数をやるにしても、昨日とは違う意識で臨んでみる。昨日の自分を超えていけば、ずっと成長続けることができるわけです。


 常日頃、キャッチボールを一番大切にしていた山本昌

 私がいすゞでプレーしていたとき、横浜スタジアムに横浜対中日を見に行ったことがありました。試合後に、関内のおでん屋で一杯やって、野球談義をしたことを覚えています。
「荒井さん、何食べますか?」とまるでお店の人みたいに気遣ってくれて、プロに行ってもマサは昔のままのマサだなと思いました。

 マサから学んだことはたくさんありますよ。その中でも印象的なのは「キャッチボールが一番大事です」とよく話していたことです。真っ直ぐ立ってから、投げたい方向に前の肩を向けて、相手に対して1本のラインをイメージする。そのライン上にボールを乗せるイメージを持っていると話していました。

 体が大きくなったのは、いつからなんでしょうか。アメリカに留学している頃は、まだ細かったですよね。私の記憶にあるのは、「マサは大食い」ということです。20代の中盤頃、名古屋でいすゞの同僚の結婚式がありました。当時は中日ドラゴンズでプレーしていて、その後は常葉菊川の部長をやっていた佐野心(現・浜松開成館)の結婚式です。
 
 式のあと、さんざん飲んだのに、「荒井さん、吉野家行きますか!」。それが、夜中の2時頃ですよ。しかも、注文したのが特盛。吉野家に入るというのも、何だかマサらしいなとも思いました。

 3年前に夏の甲子園で優勝したあとには、お祝いにボールを送ってきてくれたり、今になっても変わらぬ付き合いが続いています。引退試合のあとは、私から「104キロの怪速球ご苦労様」とショートメールを送りました。
 
 今年は、テレビ中継を見ながら、解説者・山本昌の視点を楽しみにしたいと思います。



 荒井直樹(あらい・なおき)
1964年8月16日生まれ、横浜市出身。日大藤沢~いすゞ自動車。高校ではピッチャーで活躍し、3年夏には2度のノーヒットノーランを達成。1学年下に山本昌氏がいた。社会人4年目から野手に転向し、13年間の現役生活で都市対抗野球に7度出場。96年から母校・日大藤沢の監督に就き、99年から前橋育英のコーチの就任。2001年に監督になると、13年夏の甲子園で初出場初優勝の快挙を成し遂げた。



PICK UP!

新着情報