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【土浦日大】小菅勲監督|就任直後に招いた選手達の反発と「傾聴する姿勢」

2024.2.24

強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 2023年夏の甲子園で準決勝に進出した土浦日大の小菅勲監督に話を聞きました。(聞き手:西尾典文)


昔は「おにぎり」、今は「サラダボウル」

現役時代は選手として取手二で夏の甲子園優勝を経験し卒業後は法政大でプレー。指導者としても県立高校の下妻二を2度、異動した土浦日大でも3度甲子園出場を果たすなど見事な実績を残している小菅監督。外から見れば成功を積み重ねている印象を受けるが、過去を振り返ると悔やまれることも多いと話す。

「指導者になったばかりの30歳くらいの頃は今思えばかなり“イキって”ましたよね。当時は平成の初め頃で、自分も昭和の指導を受けてきましたから。自分が選手を上達させて甲子園に連れて行ってやるっていう気持ちが強かったと思います。失敗だったなという意味ではやっぱりコミュニケーションですね。常にこちらが何かを言って、選手は聞いていて『はい』か『いいえ』だけで答えるみたいな感じでした。双方向のやり取りができるようになったのは正直に言うとこの5年くらいだと思いますね」

下妻二の監督時代はそれでも結果が出ていたというが、難しさを感じるようになったのは土浦日大に異動してからだという。
「私がここに来たのが8年前の2016年。チームとしてもなかなか勝てていない時期でした。学校も変わったし、結果も出ていないのだから思い切ってドラスティックにチームを変えようとしました。
高校野球の監督の仕事って、お客さんである生徒に苦しい思いをやらせることじゃないですか。『勝つ』というのはこんなにキツいことなんだよという感じでやったら、すぐに反発が出ましてね、しばらく受け入れてもらえなかったんです。ただ全員が全員ではなくて、勝ちに飢えていた子もいて、そういう一部の選手はついてきてくれたんです。それは救いでしたね。
反発している子も、よくよく見ているとこの苦しいことが何に繋がっているかが想像できていないだけなんですね。それが勝った時の喜びに繋がったと感じられるとだんだん変わってくるんです。そのためにも選手の話をしっかり聞いて、何を考えているか、感じているかということを知らないといけないと思うようになりました。
『2-6-2の法則』というように、『2割』くらいはどんなやり方でもやれるんですね。大事なのはやり方次第で大きく変わる『6割』で、そこをどこまでトップに引き上げられるかで結果も変わると思いますね」



下妻二の時は地元の子ばかりで、レベルの差も大きくなかったという。私立の土浦日大に来ると、色んなレベルや考え方の選手がいたのだという。
「価値観が多様化している時代になってきたというのもありますけど、野球で勝負している子もいれば、勉強も頑張りたいという子もいます。加えて人数も多い。これは今までのやり方じゃダメで、指導者としてアップデートしないといけないと思いました。
これまでは全員を一つにまとめて『おにぎり』を作るようなイメージでしたが、今はそれぞれのタイプに合わせて『サラダボウル』をいくつも作って、最終的に良いところが合わさればいいかなという考えでやっています。色んな子がいるのに、無理に統一感を持たせようとするとおかしくなるなと思います」


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