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甲子園での継投、広陵・中井監督の笑顔|中京大中京・高橋源一郎監督

2023.4.28

全国でもトップの名門と言える中京大中京。春夏合わせて11度の甲子園優勝(春4回・夏7回)、甲子園通算136勝はいずれも全国トップの数字である。そんなチームを2010年秋から監督として指導する高橋源一郎監督に結果を残し続けている秘訣、名門ならではの苦労などを聞いた。


高橋監督も中京大中京の出身。3年春には主将として選抜高校野球に出場し、チームは準優勝を果たしている。中京大、三重中京大、三重高校での指導を経て2009年4月からコーチとして母校に赴任。翌2010年の秋から監督を務めている。チームはちょうど2009年夏に甲子園優勝を果たしていたが、ここから苦しい時期が続くこととなる。
「監督になって13年ですけど、当時は30歳で今思えば若かったですね。チームが2009年夏に日本一になっていて、甲子園にも続けて出ていた時期でした(2009年春から2010年夏まで4季連続出場)。
そこから自分が監督になってしばらく甲子園に出ることもできなくて、結果として流れを止めてしまうことになったので、ちょっと辛いという思いはありました。簡単にできるとはもちろん思っていませんでしたけど、全く思うようにいかない。今振り返ってみれば選手との関わり方、野球の知識、経験、そういうすべてのことが上手くできていなかったと思います。今の自分だったらそうはしないなということもたくさんあります。まだ若くて体も動くので結果が出ないととにかくがむしゃらに練習量をこなすとか、選手の特性を考えずにこちらの考えを押し付けていた部分は少なからずありましたね」



全国でもトップの名門校、しかも甲子園で優勝を果たしてから間もないチームを30歳の若さで引き継ぐというのは相当な苦労があったはずだ。チームは2010年夏を最後に甲子園出場からも遠ざかり、2015年夏にようやく監督として初の甲子園出場をつかむこととなる。その裏には高橋監督自身の変化もあったようだ。
「勝てなかった時期はこのままじゃいけないというのは何度も思いました。そこから色々考えて、自分の押し付けではなく、選手一人一人に向き合わないといけないというように考えるようになりました。選手の話や意見を聞くこと、言いやすい空気を作ること、そういうことを心掛けるようになって、チームも変わっていったと思います。今でも覚えていますけど、初めて夏の甲子園に出た2015年の愛知大会の決勝では試合前にキャプテンの伊藤寛士(現JR東海)に『先生、今日いつもより硬いですよ』と言われました。それだけ自分も緊張していたんですけど、そういうことを選手が言える関係性ができたことが結果にも繋がったのかなと思います」


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