春1回、夏2回の甲子園優勝を誇り、“東の横綱”の異名を持つ帝京高校。しかし最後に甲子園に出場したのは2011年夏と長らく大舞台から遠ざかっている。
昨年夏の東東京大会終了後には長年チームを指導した前田三夫監督が退任し(現在は総監督)、金田優哉監督が就任。秋の都大会では準々決勝で国学院久我山に敗れたが、春にはその国学院久我山にリベンジを果たして準決勝に進出するなど、復活の兆しを見せている。そんな強豪復活を目指す金田監督に話を聞いた。
突然だった監督就任
金田監督は帝京高校のOBで2年夏にチームは甲子園出場。当時のチームは高市俊(元東京ヤクルト)、吉田圭(元広島)など、のちにプロ入りする選手を複数揃えており、本大会でもベスト4に進出している。高校卒業後は筑波大でプレーし、会社勤務を経て帝京高校にコーチとして赴任。その1年目がちょうど現時点で最後の甲子園出場となった2011年だった。「ちょうど自分がコーチになった後から甲子園に出場できていません。そういう意味では
責任を痛感しています。自分たちが現役の頃と比べると選手の気質みたいなものはどうしても変わってきていますね。以前は自分たちの力で甲子園に行こうという気持ちが強かったのが、どうしても前田監督の力で連れて行ってもらえるんじゃないかという感じになってしまっている部分はあったと思います。それはコーチとしての自分も含めてです。一昨年、コロナで甲子園がなくなった年は独自大会で優勝を果たすことができましたが、あの大会も監督の力が大きかったと思います」
前田前監督が帝京高校の監督に就任したのは1972年。約50年間にわたって指揮を執ったことになり、帝京高校イコール前田監督というイメージはすっかり定着している。結果を残し続けてきたからこそ、選手もその下でプレーすれば自然と甲子園に行けるという雰囲気が徐々に出てきてしまったということだろう。そんな前指揮官の退任は突然で、金田監督も驚いたという。
「夏の東東京大会が終わった後、前田監督がしばらく練習をお休みされました。これは以前にもあったことなので特に珍しいとは思わなかったのですが、8月末に突然監督を任せると言われたんです。自分もそうですし、選手も驚いたと思いますね。大会後に部員にコロナが出たこともあってしばらく全体練習ができなかったこともあって、秋は本当に不安な中でのスタートでした。ブロック予選を勝ち抜いた後は都大会まで少し期間があったので、そこで練習試合や実戦を積んで何とか形にしましたけど、負けた(国学院)久我山戦はもろいところが一気に出ましたよね。秋が終わって、一からチームを作り直そうと思い、色々変えることにしました」