ちょっとマイナーな「大学準硬式野球」の魅力を、実際に準硬式に携わる大学生が紹介する本連載。第5回目は東京六大学準硬式連盟に所属し、名実ともに日本トップレベルの法政大学。その実力を裏支えしているのは高校時代強豪校で鍛えられてきた選手だ。なぜ硬式でも通用するような選手が準硬式を選んだのかその理由を伺ってきた。関東連盟の学生委員である山田力也(青山学院大)くんがリポートする。
彼らが準硬式を選んだ5つの理由。
CASE.1 次善の策として準硬式を選んだ #西村勇輝の場合
準硬式野球をやっているプレーヤー全員が準硬式野球に満足している訳ではないだろう。硬式でやりたい希望がありながらも、なんらかの理由で次善の策として準硬式を選ぶ選手も多い。西村勇輝(4年・日本文理)は、日本文理高校で第99回全国高等学校野球選手権大会、つまり夏の甲子園に出場している。自身が試合に出場することは叶わなかったが3年間の結果が一つの形として現れたことに達成感と嬉しさを覚えたという。
西村は進路を決める際に硬式野球を志望していた。しかし法政準硬式野球部にスポーツ推薦があることを知った。法政準硬の練習を見て、上下関係がフラットで下級生がチームを引っ張っていくような姿勢があり「準硬式もいいな」と感じたそうだ。また高校時代から肘を怪我しており、硬式野球に入るのは少し不安があったという。「総合的に考えた結果準硬式に決めました」。
入部当初は「名が知られていない分、正直舐めていたところもありました」という。しかしながら、リーグ戦を経験してレベルの高さを実感したという。
引退して、準硬生活を振り返ると「マイナーのように見られていますが実際はレベルが高いと思いますし、チームにもよりますが学生らしく文武両道ができます。しかもオーストラリア遠征などの遠征も充実していて、学生主体で運営しています。狭い(マイナー)からこそほかの野球とは違った広がり方、新しいことができるのではないでしょうか」。核心をついた西村の指摘に準硬式野球への愛が感じられた。また、西村が準硬式を選んだ際の理由になった「総合力に惹かれて」という言葉は、キャンパスライフが部活だけにならない準硬式のバランスのよさを表しているように感じる。
CASE.2 名門校のレギュラーだったが迷わず準硬式へ #古屋一輝の場合
野球をやっている人なら知らない人はいないであろう健大高崎。健大高崎で春・秋とレギュラーとして試合に出場していた古屋一輝(3年・高崎健康福祉大学高崎)。古屋は先ほどの西村とは違い硬式野球はあまり考えていなかったという。「硬式では通用しないと考えていました。周りに比べて体も小さいですし、高校時代高いレベルで野球をやってきたからこそ自分の実力の限界を感じていました。一つ上の先輩が準硬式野球をやられていて、名の知られていない大学で硬式野球をやるよりかは法政大学で準硬式野球をやりたいと思いました」。
準硬式野球を知らなかった古屋は、やはり硬式に比べたらレベルは下がるだろうと考えていたそうだ。しかし入部してからそのレベルの高さを実感したという。
「六大学の中で勝てなくてレベルの高さを実感しました。高校時代のようにきちんと努力しないと勝てないと感じ、一瞬冷めかけていた野球への熱が再燃しましたね」。
古屋は関東選抜として関東地区を日本一に押し上げたメンバーの一人だ。「硬式に進んでいたら、選抜チームにはなれなかったと思うので、選んでいただけて貴重な体験をさせていただいたことも準硬式を選んでよかったなと思う点ですね」と語り、関東選抜でチーム全員が日本一に向かっていく姿を学び自チームにも還元したいと話した。
CASE.3 自身の夢のために強豪校から準硬式へ #湯浅創太の場合
湯浅創太(4年・國學院久我山)はやりたいことを実現するために準硬式野球を選択した。高校時代は西東京の強豪、國學院久我山で投手として野球をしてきた。最後の夏は日大三高に敗れ高校野球生活を終えた。当時のエース、菅谷祐太は青山学院大学の準硬式野球でプレーした。菅谷は湯浅と同じ高校であることに加えて同じサウスポーとして野球をプレーし、菅谷も湯浅も教職課程(教職)を優先するために準硬式野球に入ったという。同じサウスポーとして準硬式野球という舞台に立ち夢を追う同志として貴重な存在だと語る。
湯浅はもともと人にものを教えることが好きだったが、中学高校と素晴らしい先生に恵まれたこともあり、教師の道を意識し始めたそうだ。高校での進路を決める際も教職をメインで選んだそうだ。しかし硬式に興味がなかったわけではないと言う。「日大三高と試合をしてある程度自分のピッチングが通用するという自信もつきましたし、硬式野球というブランドに対する憧れがあって、試合に出られなくてもいいから硬式野球に行こうかなとも思いました。ですがやはり試合に出たいという想いが強く、一般生が硬式野球に入るのは厳しいかなと思って準硬式野球を選びました」。
引退後振り返ると、「1年の秋から試合に出していただきましたし、何より仲間に恵まれました。準硬式を選んで後悔は無いですね」と語る。また「硬式のことは分からないですけど、寮生活で大人の指導者によってある程度管理されると思います。その点準硬式はチーム作りから自分たちの手で行うことができて、これまで経験したことのない野球が出来ると思います」と分析した。
今では教育実習で母校に赴き、現役の高校球児に準硬式野球の良さを広めているという。
「あくまで本人たちの意思は尊重すべきなので、野球を続けようか迷っている人に響けば良いなという想いで話しました。やはり現役は硬式に対する思いは強いようですが、準硬式を知ってくれる高校球児がいただけで価値あると思います」。
自身も硬式野球に興味はあったがやりたいことを優先して準硬式野球を選んだ。高校生には自分の人生はしっかりと自分で考えてほしいという湯浅からのメッセージなのだろう。
CASE.4 目標は「弱小校から日本一」 #伏見颯真の場合
ここまで読んできて、法政大学準硬式野球部は強豪校出身者ばかりなの?と思う人もいるだろうがそんなことはない。法政準硬は野球をやりたいという切実な思いを無下にしない。自ら「弱小校から日本一」という目標を掲げる伏見颯真(3年・帯広緑陽)はその一人だ。
「高校は地区予選一回戦敗退してしまうようなチームでした。法政の準硬式野球部に入部しましたが、初めはそのレベルの高さに驚きました。ですが、そんな自分でもなんとかチームの目標である日本一に貢献したいと考え、「弱小校から日本一」という目標を立てて練習に励みました。プレーで活躍できれば理想ですが、調子の良し悪しもあるので、声でチームを盛り上げたり、 練習しやすい環境作りをして、チームに貢献することを心がけています」。と教えてくれた。
また、強豪校で野球を学んできた選手が身近にいる環境が自身の成長になる。
「多くの野球の動画や論文を見たり、チームメイトや指導者の方にピッチングをみてもらったり、とにかくいろいろ試して、自分に合うものを取捨選択しながら練習していました。フォームのことや高校時代どんな練習をしていたかとか、球速以外のことでは投手として何を考えながら投げるのか、投手の在り方、恋愛相談などいろいろなことを学びました」。
CASE.5 準硬式野球の魅力は、 “野球以外”にある #藤平心の場合
藤平心 (3年・藤代)は準硬式以外の活動にも力を入れている。藤平は大学のゼミでドラマを作成していて、脚本と主演を務めたという。もともとテレビやドラマが好きだったので大学で学びたいと考えメディア社会学科を選んだ。素人が作るドラマとはいえ、細かいところにもこだわって作ったそうだ。「同じシーンを撮ったにしてもどう撮るかによって印象が変わったりするので、面白いと思ったドラマを自分で見て研究していました」。
また藤平は主務としてチームを支えている。仕事内容は主に、財務や六大学リーグ内の各大学との連携を取ってリーグ運営を行うことである。自チームでは練習試合を組むといった仕事がある。
「試合をバックネットから、しかも自分の試合でもない試合を見て、サポートをするのが仕事です。最初は体育会にもかかわらず野球以外のことをするのは正直抵抗感がありました。選手として活動したいという想いが大きかったですね。ですが主務の仕事をしているうちに周りの方の大切さを感じましたし、改めて野球をやれていたことに対する感謝の気持ちを持つようになりました」。
野球には直接関係ないというところに抵抗を覚えていたが結果的に自身の成長に繋がったというのだ。そのような経験もあり「準硬式は多方面から野球を見ることができ、自分のやりたいことであることもできる。準硬式を選んでよかったです」と話してくれた。
法政Ⅱ部の存在も大きい
法政大学には準硬式野球部が2つある。その名も法政Ⅱ部だ。法政Ⅱ部は六大学ではなく、東都リーグに所属するチームで準硬式の裾野をさらに広げることができている。まさに野球をしようとする気持ちに寄り添う体制が整っている。直接的な関わりはないようだがお互いに意識しながら切磋琢磨しているようだ。準硬式野球でしか学べないこと
法政準硬には監督がいる。取材の中で自然と監督の話になると選手が口を揃えて言うのは「勝ちにこだわる監督、であると同時に社会人としての常識を教えてくれる監督」ということだ。「寝癖や髭、服装などで注意を受けることがありますね。監督さんは“常に見られているという意識を持て”とよく仰っていて、いつでも人に挨拶できる恰好をしなさいと言われます」と西村。あくまで練習やチーム作りは学生主体。ただし社会に出るための学びの場所であることが部活動としての本分である。監督の存在は、そんな根本的なことを教えてくれる。法政準硬の選手は取材に対してしっかりと自分の言葉で話してくれた。自らの考えを日頃からしっかりと持っている証拠であろう。私は今回の取材を通じて法政大学準硬式野球部が準硬式野球を引っ張っていくことができている所以がわかったような気がした。
準硬式を通じて自由の中にもそこを生き抜く“実践知”を養っている法政大学準硬式野球部の“進取の気質”は止まらない。
今後も準硬式野球の魅力を発信していくのでぜひ過去の記事もご覧いただきたい。
取材にご協力いただいた法政大学の皆様、本当にありがとうございました。
(写真・文/山田力也)