元プロの高校野球部監督を直撃し、これまでの経験をどう生かして指導をしているのかを中心にさまざまな話を聞く短期連載。今回は、プロ引退後に一度別の道へ進むも、夢だった教員として母校に帰ってきた藤沢翔陵高校の川俣浩明監督だ。前身の藤沢商高時代を含め10人のプロ野球選手を輩出している古豪を復活させるべく、日々奮闘を続ける川俣監督に指導方針などを聞いた。
一度は諦めた「指導者の夢」を幸運と努力で掴んだ
藤沢商業高校在籍時は、長身右腕として夏の県予選でベスト16入り。高校卒業後は大阪ガスへと進み、都市対抗野球にも出場を果たした。1996年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位で指名されプロ入り。プロ生活6年で一軍登板は29試合で勝利を挙げることはできなかった。2002年オフに現役引退を決意し、一般企業で働くことになった。そんなとき、母校の野球部を訪れると、当時の関係者から野球部の指導者になってみないかという打診を受ける。「高校時代には、将来は高校野球の指導者を夢見ていた時期があったんです。社会人野球、プロ野球の道を選んだため当時は夢を諦めましたが、こんな形でもう一度目指せることになるとは、本当にラッキーだったと思います。そんなめぐり合わせもあり、誘いを了承し、学校の事務職員として働きながら夜間の大学で学び、教員免許を取得することができました」。
2008年に藤沢翔陵高校の教員となり、2年後に野球部の監督に就任した。
「たくさんのOBがいる中で、母校で監督ができることは本当に幸せなこと。その運を絶対に活かすためにも、強いチームをつくらなければと決意を新たにしました」。
藤沢翔陵は1973年の夏の甲子園に出場経験がある。その後も県の強豪校として名をはせてきたが、90年代に入ると低迷が続いていた。川俣監督もこの低迷期を経験。「社会人やプロの時代、先輩や同級生に挨拶に行ったり、後輩が挨拶に来たりするという場面をよく目にしてきた。僕はそれができなかったこともあり、自分が母校を強くして、一人でも多くの選手に挨拶に行くなどの経験をさせてやりたいとも思ったんです」と、当時を振り返ってくれた。
「選手主導への転換」を決意した5年目の夏
母校を再び強豪校へ。この思いを胸に、指導に励み続けている川俣監督。2021年の夏の県予選では、ノーシードながらチームを35年ぶりのベスト4に導いた。また秋の大会でもベスト8入りを果たすなど、「常にベスト4、8入りできるチームづくり」という就任時に掲げた目標に届き始めた。そんな川俣監督に、指導者としてのターニングポイントを聞いてみると、次のように答えてくれた。「確か、就任5年目の夏の県予選だったと思います。5回戦まで勝ち進み、横浜隼人との試合を迎えました。試合前は、ここで勝利することができれば、ベスト8、ベスト4の常連になるための足がかりがつかめると思っていました。でも、ミスから流れを失い、選手は思い通りのプレーをできていなかった。その試合途中に、ベンチにいた選手を見たときに、全員が僕の方を見ていたんです。その瞬間、今のままではこれ以上のチームはつくれないと確信しました。僕の顔色を伺っていた子もいたでしょうが、僕が何を言うかを待っていた選手がほとんどだったと思います。この子たちには、自分たちが勝ちたいからこうしたい、ああしたいという思いがないんだなと気付かされたんです」。
この試合を機に、川俣監督は選手に必要最低限のこと以外は言わない、指導しないことを決めたという。「就任してから手取り足取りの指導することが多かったように思います。その影響もあり指示待ちの選手になっていたのかなと。もう一段上のレベルで勝負するには、判断能力に長けた選手をつくらなければいけないと思い、練習も選手主導で行うように切り替えました」。
この決断は、選手個々の能力アップにつながっているだけでなく、指導者と選手との信頼関係向上にも役立っていると川俣監督は話す。「子どもたちに任せる不安もありましたが、思い切って任せることで選手にも自分たちで考えなければという自覚が強くなっていると思います。僕自身も、ときには感情を出すときもありますが、話をしすぎないようにしています」。
「プラス思考と発想の転換」が何より大事
6年間のプロ野球人生で発想の転換の重要性を思い知らされたという川俣監督。投手出身で守りの大切さも十分に理解しているが、徹底して攻めるチームをつくりたいとも語る。「力のないチームだからこそ、ときにはハッタリをかますくらいの勢いが必要になるんです。ストッパーをかけずにどんどん攻めていけば、相手も何を考えているかわからないと怖くなるはず」。
また、送りバントについても次のような考えを聞かせてくれた。
「ノーアウトのランナーを出してしまい、その後に送りバントを決められたとします。このときピッチャー心理としては、得点圏にランナーが進んだので打たれちゃいけないと感じてしまう。でも、1つアウトをもらったから、その後のバッターに集中してあと2つのアウトを取ろうと思えばいいんです。こういうプラス思考になれば、考えの幅も広がってくると思います」。
川俣監督は高校生時代、当時の部長に「お前たちは、商品なんだ」と言われたことが今でも忘れられないという。「学校がフルーツショップだとしたら、お前たちはそこで販売されているフルーツだと。その売り物のフルーツが質も見た目も悪ければ誰にも買ってもらえないし、店にも来なくなると。だから、お客さんにどうすれば買ってもらえるかを理解したうえで、野球を頑張りなさいと。意味がわからない人も多かったと思いますが、僕はその言葉がすごく理解できたんです」。
この教えは、選手の考えを尊重する今の指導法にも通じるものがある。選手個々が自分をどう高めていくのか考え、理解しながら練習に取り組むことで、個々としてはもちろん、チームとしてのレベルも上がっていく。そうすれば、多くに人に注目されるような選手が誕生する可能性も高くなるだろう。だからこそ、川俣監督は「藤沢翔陵で野球をしたいと思って入部している選手たちに、いい環境で練習をさせてあげたい」とも話す。
すべては、母校を再び全国の舞台へと導くため。川俣監督の挑戦はこれからも続いていく。
(取材・文/松野友克)