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【コラム】金足農―近江「無言の48秒」。高校野球実況の醍醐味を語る

2021.8.23

無観客試合で開催されている夏の甲子園大会。今年はステイホームで中継を楽しんでいるファンも多いだろう。現地で応援できないファンや関係者にとって、テレビ中継やネット配信は重要な“観戦”手段。コロナ禍のスポーツ観戦に欠かせない存在となった野球実況の奥深さについて、福岡大会を実況したフリー実況者の吉松孝さんにお話をきいた。


オフプレー中、何を伝えるかが、野球実況の醍醐味

無観客試合で行われた東京五輪2020。コロナ禍による制限で、ステイホームでスポーツ観戦(鑑賞)するスタイルがスタンダードになりつつある。今年の甲子園大会は多くのファンがテレビ中継やネット配信で、それぞれの場所からそれぞれの様式で観戦を楽しんでいる。スポーツ実況の重要性がより高まっている昨今、福岡のテレビ局員時代にプロ野球中継を多数担当し、台湾の野球にも造詣が深い吉松孝さんが野球実況の魅力を語ってくれた。

「野球のテレビ中継では『画面に映っているところの動き』が最も重要になりますが『画面に映っていないところがどう動いているか』という視点が大事になります。ここは実況者がどれだけ効果的に伝えられるかの見せ場となります。試合は予定調和で動きません。気象(風、天気)など常に変化する要素ばかりで、何がどう動くか分からないところで、自分なりの見方を『目付け』しておく必要がある。『このケースではこういうことが起きる可能性がある』と、あらゆる可能性を想定して、受け身ではなく、状況を予測しながら進めていくところが野球実況の醍醐味だと思います」。

野球はオフプレーの時間が長いスポーツだ。実際にボールが動いている時間は30分以下とも言われている。吉松さんはこの「オフプレー」の時間に、両チームの戦略をじっくりと視聴者に考えさせるところも、野球の面白さだと説く。例えば、1死一、三塁の場面。攻撃側の打者の動き、走者の動き、ネクストバッタースサークルの選手の様子、守備側の守備位置、配球、ブルペンの動き…など、あらゆる要素が「戦略」となる。それを逐一目で追いながら、時には放送で提示しながら、実況者は中継を進めていくのだ。

「画面で写っているものと、自分の目で見ているもの。何を切り取るかが実況者の取捨選択によります。情報を与えすぎてもいけないし、過度な演出をしてもいけない。余計な情報を入れないことも、私の中では気を付けている点ですね」と自身のこだわりを話す。

 実況で何を切り取るか。若菜嘉晴氏、野村克也氏から和みやユーモアも学んだ


これまでの実況経験の中で、吉松さんが大きな影響を受けた人物が2人いる。野球解説者の若菜嘉晴氏(元西鉄ライオンズほか)と、故・野村克也氏だ。どちらも元捕手。野球の見方、面白さ、「実況で何を切り取るか」を学ばされたと言う。

「若菜さんには、広い視点で野球を見たり、先のことを想定しながら見て伝えていくことの重要性を教わりました。野村さんからは中継前に『たかが野球ですよ』と仰っていただき、放送席の場を和ませていただいた。緊迫した試合中継の中にも、和みやユーモアの気持ちを心に持ちながら放送する姿や、生き方を示していただきました」と振り返る。

この夏は福岡大会の5回戦、準々決勝の計3試合実況した。初めての高校野球実況となった今夏。プロ野球実況とは違う工夫を加えたと言う。

「高校野球は、1試合ごとの勝敗の重要性が大前提にありながらも、試合が動くにつれて物語性を帯びてくる。そのストーリーをどう紡ぎ出していくかを意識しました。タイブレークや、球数500球制限、コールドゲームの成立条件など、高校野球独特のルールや、特にコロナウイルスに関連して設定されたルールの把握につとめました。実況としては、試合が動かず落ち着いたところと、三振やヒット、得点シーンなどスピード感を欲するところのメリハリ、リズム感や言葉数を増やしたり減らしたりするなどの緩急、強弱を意識してつけていきました」。

さらに「好投手対決」となった準々決勝での工夫について、こう続けた。

「準々決勝では、福岡大大濠・毛利海大投手、筑陽学園・藤田和揮投手の左腕同士の投手戦となりましたが、2人の投手がどのように打者を打ち取っていくかの配球のプロセスや決め球などに着目。特に藤田投手は、上下左右のコース、変化球、ストレートを巧みに投げ分け、毛利投手はチェンジアップを効果的に使っており、それを、スロー映像を交えながら伝えていきました」。

映像に合わせて選手の長所をリプレイし、視聴者に向けて深みのある実況を届けた。


吉松さんは今年の夏、J:COMチャンネル福岡大会高校野球中継の試合実況を担当した(県営春日公園野球場)。

金足農―近江。史上初の逆転2ランスクイズの実況を振り返る


高校野球の実況で記憶に残る実況と言えば、2018年夏の甲子園大会・準々決勝、金足農―近江だろう。2ランスクイズのシーンを思い出す人も多いに違いない。9回裏、無死満塁で、9番斉藤璃玖選手が1-1からスクイズ。二走の菊地彪吾選手(現八戸学院大3年)が生還し、金足農がサヨナラ勝ちした。逆転サヨナラ2ランスクイズという「史上初」の幕切れに、近江のエース林優樹投手(現西濃運輸)はぼう然。この時、NHKのテレビ中継は48秒間の長い沈黙でこのシーンを映し出していた。野球ファンの中からは「無言という名実況」という声もあったほど、印象深い中継シーンとなった。この実況の持つ意味は? 吉松さんに私論を伺った。

「あまりに突然の出来事で言葉が出てこなかったか。もしくは、演出として、あえて黙っていたのか。実況アナウンサーは話そうとしたがディレクター(制作者側)が止めたか、あるいは、その反対か、さまざまな可能性が考えられる。ゲームセットになり、両校が整列したタイミングでフェードイン(喋り出し)したところを見ると、あえて黙っていたのかもしれません」と推察した。

ドラマチックな幕切れも魅力の一つである高校野球。目の前で起こっていることを淡々と。状況がわからない視聴者には解説を加えて。試合実況の観点から高校野球を観るのも、また面白い。


●Profile/吉松孝(よしまつ・たかし)

福岡県出身。福岡の放送局に在籍し、プロ野球中継実況やバラエティー番組の司会を担当した後、フリーに転向。台湾に移り、番組制作を続け中国大陸に於いても数都市で番組出演、司会、コメンテーターとして活動。現在は福岡を中心に国内外の放送制作、高校野球実況などに携わる。


(取材・文/樫本ゆき)


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